2007年1月26日 (金)

フリードマンの日

1月29日はフリードマンの日(Econbrowser経由)。

Milton Friedman Day                                                  http://www.miltonfriedmanday.org/

単なる報告でございます。深い意味はございません。

ただ何となく祭りの気配が漂ってくるわけです。何かを始める(再開する?)またとない機会のような気がするんです。何となく。

続編書くなどもってのほかじゃ!!

どうぞよろしくお願いします m()m。

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2006年12月12日 (火)

相容れない師弟

銅鑼先生、すいません。約束破って読んできちゃいました<週刊エコノミスト掲載のフリードマン追悼文。

フリードマンとガルブレイス。両者ともに経済学の巨人ですね。ガルブレイスは見ての通り(身長が2mを超える)巨人ですし、フリードマンに関してはどうやら我々(どこまでが「我々」に含まれるかは知りませんが)はフリードマンという「巨人の肩に乗っている」そうですからフリードマンも巨人ということになるようです。どうでもいい前置きはこれくらいにして早速記事の内容に関してあれこれ感想を書き連ねたいと思うわけですが、その前に一つだけ確認しておきたいことがあります。どうして伊東(光晴)先生は熊なんとかって呼ばれるようになったのでしょうか? 熊、くま、ベアー・・・、わからない。伊東先生が熊なんとかって呼ばれてらっしゃるのは有名な話なんでしょうか? 

冗談抜きに2、3分は迷いましたよ。あのまま伊東先生の文章だけ読んで帰ってたらギリギリのところで約束守ったことになったんですがね。気付いちゃったからしょうがない。約束破りの代償に息苦しい昼下がりを過ごさせていただきましたよ。鼻にちり紙詰めて自転車乗ったのって何年振りだろうな~。

前置きは本当にこれくらいにして、熊なんとかさんへの反論というかなんというかそんな感じのことをば。っていっても私が反論するわけではありません。日銀のお師匠であるらしいフリードマン先生から直々に反論をいただくことにしましょう。

Milton Friedman、“Rx for Japan: Back to the Future”Wall Street Journal, December 17, 1997)       http://www.geocities.com/ecocorner/intelarea/mf3.html

私が中学・高校でお勉強してきた英語が実は英語に似た架空の言語だったのでなければ弟子への叱責から文章が始まっているはずです。

A decade of inept monetary policy by the Bank of Japan deserves much of the blame for the current parlous state of the Japanese economy.

10年間にわたる日本銀行の稚拙なinept)金融政策こそが日本経済の苦境の原因である、と仰っているはずです。もしかしたら今流行のツンデレ(何か違うような気が。ま、いいか)かもしれませんので(最初にムチをうっておいてから最後に優しい言葉をかけて抱擁してやるのがフリードマンの教授法かもしれませんので)、結論を急がずに最後までお話を伺うことにしましょう。

That decade followed a period of excellent monetary policy. In 1973, the Bank of Japan reacted to an accelerating rise in inflation by bringing monetary growth down to nearly 10 percent a year from over 25 percent in the course of less than two years. It also announced an explicit policy of controlling monetary growth.

・・・Monetary growth continued to decline unevenly for nearly another decade and then stabilized. Inflation followed suit, falling to less than 3 percent annually for years on end. After a brief recession in 1974, real growth resumed at a respectable and fairly steady rate, averaging nearly 4 percent a year from 1977 to 1987. Those were the golden years.

お褒めの言葉です。1970年代半ば~1980年代半ばにかけての日銀による適切な金融政策運営によって「the golden years」が到来したと褒めてらっしゃいます。やはりフリードマンはツンデレ(?)だったのでしょうか?

The resulting acceleration in monetary growth led to higher inflation and, initially, to higher real growth. The most notable result was the "bubble economy," an explosion in the prices of land, stocks, and other assets; the Nikkei stock index more than doubled in three years.

The Bank of Japan reacted belatedly in 1990, reducing monetary growth from 13 percent to less than 3 percent in the first year of the new policy and to negative rates in the second--too much of a good thing. Tight money was spectacularly effective; the stock market, and also nominal income growth, plunged. Low inflation turned into actual deflation by 1994. Monetary growth has recovered since but remains at the lowest level of the postwar period.

ルーブル合意によるドル買いの過程でマネーサプライ(M2+CD)成長率が加速し、高い実質経済成長率と資産価格の急上昇によって特徴付けられるバブル経済が到来。1990年に遅すぎるbelatedly)金融引締めが行われ、92年にはマネーサプライ成長率が(91年の13%から)マイナスを記録。その後1994年にGDPデフレーター上昇率がマイナスを記録し、マネーサプライ成長率は一時に比べれば上昇したものの戦後最低水準にとどまっている。・・・多分褒めてはいないと思います。

The surest road to a healthy economic recovery is to increase the rate of monetary growth, to shift from tight money to easier money, to a rate of monetary growth closer to that which prevailed in the golden 1980s but without again overdoing it.

・・・Defenders of the Bank of Japan will say, "How? The bank has already cut its discount rate to 0.5 percent. What more can it do to increase the quantity of money?"

The answer is straightforward: The Bank of Japan can buy government bonds on the open market, paying for them with either currency or deposits at the Bank of Japan, what economists call high-powered money. Most of the proceeds will end up in commercial banks, adding to their reserves and enabling them to expand their liabilities by loans and open market purchases. But whether they do so or not, the money supply will increase.

There is no limit to the extent to which the Bank of Japan can increase the money supply if it wishes to do so. Higher monetary growth will have the same effect as always. After a year or so, the economy will expand more rapidly; output will grow, and after another delay, inflation will increase moderately.

熊なんとかさんの文章を読んだ印象では、金融政策は不況克服のための手段としては無効とまでは言わないまでも限定的なものである、あるいは金融政策を金融当局の裁量に任せると金融緩和が行き過ぎて高インフレを招いてしまう(あるいはインフレ懸念(=インフレ期待の高まり)を生み出して緩和効果が抑制される)というのがフリードマンの政策思想であるかのように感ぜられましたが、フリードマン先生ご自身のお話を伺っているとどうやら違うようです。“without again overdoing it.”と金融緩和の(再度の)行き過ぎに注意を与えてはいるものの、デフレあるいは不況下での金融緩和政策に否定的どころか、デフレ克服への強い意志と金融緩和政策の効果に対する高い信頼が語られている、・・・ように感じるのは私だけでしょうか?

Initially, higher monetary growth would reduce short-term interest rates even further. As the economy revives, however, interest rates would start to rise. That is the standard pattern and explains why it is so misleading to judge monetary policy by interest rates. Low interest rates are generally a sign that money has been tight, as in Japan; high interest rates, that money has been easy.

名目金利の水準によって金融が緩和しているか引き締められているかを判断すべきではないと。名目金利が低いのは金融がこれまで引締め気味であったためであって、また名目金利が高いのは金融がこれまで緩和気味であったからであると。(私も?)権威を笠にきさせていただきますとヴィクセルも同じことを言っています。「無担保コールレートは実質ゼロ%だ。十分金融緩和している。否、緩和し過ぎなくらいだ」なんて発言はあまり胸張って言うべきものではないかもしれませんね。だって、ゼロ金利であるということは金融緩和が遅れた証(=金融政策の失敗の証)であるかもしれないんですから。

Japan's recent experience of three years of near zero economic growth is an eerie, if less dramatic, replay of the great contraction in the United States. The Fed permitted the quantity of money to decline by one-third from 1929 to 1933, just as the Bank of Japan permitted monetary growth to be low or negative in recent years. The monetary collapse was far greater in the United States than in Japan, which is why the economic collapse was far more severe. The United States revived when monetary growth resumed, as Japan will.

熊なんとかさんの記事でもフリードマンの大恐慌研究については触れられていたと思いますが、はて?

The Fed pointed to low interest rates as evidence that it was following an easy money policy and never mentioned the quantity of money. The governor of the Bank of Japan, in a speech on June 27, 1997, referred to the "drastic monetary measures" that the bank took in 1995 as evidence of "the easy stance of monetary policy." He too did not mention the quantity of money. Judged by the discount rate, which was reduced from 1.75 percent to 0.5 percent, the measures were drastic. Judged by monetary growth, they were too little too late, raising monetary growth from 1.5 percent a year in the prior three and a half years to only 3.25 percent in the next two and a half.

あ、「ゼロ金利=金融緩和の証」発言見っけ。

After the U.S. experience during the Great Depression, and after inflation and rising interest rates in the 1970s and disinflation and falling interest rates in the 1980s, I thought the fallacy of identifying tight money with high interest rates and easy money with low interest rates was dead. Apparently, old fallacies never die.

“old fallacies never die”ですって。「高金利=金融引締めの証」(「低金利=金融緩和の証」)という古びた誤謬は極東の地・日本でまだ生きていた! フリードマン先生、さぞかし驚かれたか、あるいは落胆なさったことでしょう。それにしても最後まで読む必要なかったかもしれませんね。

さて、フリードマン先生による手取り足取りのレッスン(step-by-step instructions)の結果ですけども(レッスンから約3年後).......

(1)日本銀行は、本日、政策委員会・金融政策決定会合において、金融市場調節方針を以下のとおりとすることを決定した(賛成多数)。

無担保コールレート(オーバーナイト物)を、平均的にみて0.25%前後で推移するよう促す。

(2)日本銀行は、昨年2月、先行きデフレ圧力が高まる可能性に対処し、景気の悪化に歯止めをかけるためのぎりぎりの措置として、内外に例のない「ゼロ金利政策」を導入した。その後、デフレ懸念の払拭が展望できるような情勢となるまで「ゼロ金利政策」を継続するとの方針のもとで、この姿勢を維持してきた。

(3)その後1年半が経過し、日本経済は、マクロ経済政策からの支援に加え、世界景気の回復、金融システム不安の後退、情報通信分野での技術革新の進展などを背景に、大きく改善した。現在では、景気は回復傾向が明確になってきており、今後も設備投資を中心に緩やかな回復が続く可能性が高い。そうした情勢のもとで、需要の弱さに由来する物価低下圧力は大きく後退した。

このため、日本経済は、かねてより「ゼロ金利政策」解除の条件としてきた「デフレ懸念の払拭が展望できるような情勢」に至ったものと考えられる。

(4)この間、7月央以降は、いわゆる「そごう問題」の影響にも注目してきたが、これまでのところ、この問題を契機として、金融システムに対する懸念が広まったり、市場心理が大きく悪化するといった事態はみられていない。

(5)今回の措置は、経済の改善に応じて金融緩和の程度を微調整する措置であり、長い目でみて経済の持続的な発展に資するという観点から行うものである。

今回の措置実施後も、コールレートは0.25%というきわめて低い水準にあり、金融が大幅に緩和された状態は維持される。日本銀行としては、物価の安定を確保するもとで、適切かつ機動的な金融政策運営を継続することにより、景気回復を支援していく方針である。

                                                                                         以 上

金融市場調節方針の変更について  (日本銀行、2000年 8月11日)

・・・・・・・・・・OTZ。

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2006年11月20日 (月)

We are all Friedmanians now.

Robert J. Barro、“Milton Friedman: Perspectives, Particularly on Monetary Policy(pdf)”(Federal Reserve Policy in the Face of Crises(Cato Institute 24th Annual Monetary Conference),November 16, 2006)

金融政策の話題に絞って要点を箇条書きにしてまとめておきます。

・1930年代の大不況の原因について

大不況は市場経済の機能不全が発現した結果(=市場の失敗)であり、市場が正常な機能を回復するためには積極的な政府介入が必要である(ケインズ) vs 大不況は政府の失敗、特にFRBによる金融政策の失敗の結果である(フリードマン)→「小さな政府+ルールに基づく金融政策」

・money→real economy

歴史的に見て、貨幣量(マネーサプライ)は貨幣需要のシフトから独立であって、名目貨幣量と経済活動(実体経済)との間における正の相関関係は貨幣量から経済活動への因果関係(貨幣量の増加→名目(あるいは実質)GDPの増加)を反映している(『A Monetary History of the United States』

・アンチケインジアン?

1960年代、アンチケインジアンと見做されるフリードマン。マクロ経済の撹乱要因として貨幣的要因を重視したため→景気安定化手段として金融政策の役割を重視する1980年代以降のニューケインジアン=20年後の和解?

・“The Role of Monetary Policy”

貨幣量と物価水準の予想外の変化だけが実体経済に影響を持ちうる(ルーカスによる合理的期待革命を準備)。しかしながら、システマチックな金融政策であっても名目価格や名目賃金が硬直的である短期においては実体経済に影響を与えることができる。

However, Milton’s monetary framework implied a potentially important role for activist monetary policy in smoothing out the business cycle. Systematic monetary changes had substantial short-term real effects, and wise interventions could improve the functioning of the macro economy. Implicitly, the private market was working badly, beset by sticky prices and wages in the short run, and the monetary authority could help by stimulating the economy in recessions and cooling things down in booms. No wonder that this part of Milton’s monetary ideas would be embraced by Keynesians in the 1980s.

・long and variable lags&rules versus discretion

短期的には(あらかじめ予想されたものであっても)金融政策の変化は実体経済に影響を及ぼすことができる。しかし、金融政策の効果が表れるまでには多少時間がかかり、また効果が表れるまでにどのくらいの時間がかかるかについてあらかじめ正確に予想することはできない(効果が表れるまでに要する時間は政策が発動される状況により変化する)ため、タイミングよく政策を発動することは非常に困難(景気安定化を意図した政策が景気不安定化の原因となる場合も)→政策当局に対して貨幣成長率を一定に保つルールを課し、裁量的な政策運営の余地を減ずるべき

・k%ルールの誤り

M1やM2といった貨幣量の成長率を2%あるいは3%に保つべきというフリードマンの主張はインフレ率を安定化させる上では問題を抱えている。実質貨幣需要量は不安定であり、インフレ率を安定化するためには名目貨幣量を実質貨幣需要量の変化に合わせて調節せねばならない

・インフレーション・ターゲッティング

目標として掲げたインフレ率を達成するべく金融政策が運営される過程においては名目貨幣量は自動的に実質貨幣需要量の変化に合わせて変動する(名目貨幣量は内生的)。インフレ率の低位安定化(low and stable inflation)に貢献するインタゲは、low and stable inflationを中央銀行の使命と考えるフリードマンの精神を受け継ぐものとして評価できる。

・「我々は、今や皆ケインジアンだ」;誤った解釈とフリードマンの真意

“In one sense we are all Keynesians now; in another, nobody is any longer a Keynesian.” →「we are all Keynesians now」=マクロ経済学が独立した分野として成立するきっかけを作ったケインズを評価したもの。ケインズの議論の中身、特に積極的な政府介入を容認する『一般理論』の内容に同意したわけでは決してない(in another, nobody is any longer a Keynesian)。

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2006年11月19日 (日)

フリードマンは永久に不滅です

Cattle die, kindred die,
Every man is mortal:
But the good name never dies
Of one who has done well

http://daviddfriedman.blogspot.com/2006/11/mf.html

財産は滅び、身内の者は死に絶え、               自分もやがては死ぬ。                                 だが決して滅びぬのが、自らの得た名声だ。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~moonover/2goukan/north-e/odin4.htm

David Friedmanが父であるミルトン・フリードマンの死に際して捧げた言葉(北欧神話のエッダからの引用(76節(?)。数え方がわからないんですが、76の番号が付してある箇所です)。Hávamál ―The Sayings of Hár(from the Poetic Edda http://home.earthlink.net/~wodensharrow/havamal.html)。

おっしゃる通り、フリードマンは永久に不滅なんです。

4つのマネタリズム                          http://hicksian.cocolog-nifty.com/irregular_economist/2006/04/4_f2c0.html

我々は皆、ケインジアン=マネタリストである           http://hicksian.cocolog-nifty.com/irregular_economist/2006/04/post_f1f8.html

ついでにフリードマン関連のエントリーを再掲しておきます(新カテゴリー「Friedman」を設けました)。フリードマン先生のご冥福をお祈りいたします。

ケインズ革命の弊害                           http://hicksian.cocolog-nifty.com/irregular_economist/2006/04/post_8b53.html

Friedman's Plucking Model                                          http://hicksian.cocolog-nifty.com/irregular_economist/2006/04/friedmans_pluck.html

フリードマン、グリーンスパンを語る                 http://hicksian.cocolog-nifty.com/irregular_economist/2006/04/post_c8e5.html

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2006年11月17日 (金)

フリードマン逝去

2006年は1883年と並んで経済学の歴史上何かと因縁めいた年として記憶されることになるかもしれません。1883年はマルクスが逝去し、ケインズとシュンペーターがこの世に生を受けた年であり、今年2006年はガルブレイスが逝去し、またフェルプスがノーベル賞を受賞した年、そしてミルトン・フリードマンが逝去した年となりました。2006年という年は1883年と並んで経済学の歴史に(大きな喪失感とともに)深く刻み込まれることとなるでしょう。

2006年11月16日、シカゴ学派ならびにマネタリストの総帥として知られるミルトン・フリードマンが94年の生涯を閉じました。恒常所得仮説や自然失業率仮説、あるいはシュワルツ(Anna J. Schwatrz)との共著『Monetary History of the United States 1867 1960』等経済学者としての理論的・実証的な業績もさることながら、『資本主義と自由』や『選択の自由』等の書籍を通じて・・・・フリードマンの業績に関しては以下を参照なさってください(いわゆるタダ乗りというやつです)。

Economics Lovers Live( by 韓リフ先生);

ミルトン・フリードマン逝去(享年94歳)       http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20061117

Greg Mankiw's Blog(by Gregory Mankiw);

Milton Friedman             http://gregmankiw.blogspot.com/2006/11/milton-friedman.html

Mark Thomaが紹介しているフリードマンのWSJへの寄稿文は必読。

Economist's View(by Mark Thoma);

Milton Friedman: Why Money Matters http://economistsview.typepad.com/economistsview/2006/11/milton_friedman.html

喋る(あるいは動く)フリードマンを見たければYou Tubeにレッツゴー(Marginal Revolution経由)。また、以下のページ左上の「Friedman/Taylor Video」をクリックすれば、テイラー(John Taylor)を傍らにおいて語るフリードマン(今から約3ヶ月前)をご覧になれます。

The David Laidler Festschrift
http://economics.uwo.ca/centres/epri/LaidlerFestschrift/LaidlerFestschriftProgram.html

フリードマン先生、どうぞ安らかに。

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2006年4月28日 (金)

フリードマン、グリーンスパンを語る

Economist's ViewよりM.フリードマンのWSJにおけるグリーンスパン評が届きました。

Milton Friedman: Greenspan Ruled with Discretion http://economistsview.typepad.com/economistsview/2006/01/milton_friedman_1.html

グリーンスパンによる絶妙な金融政策運営の結果としてアメリカ経済のインフレ率は低位安定、意思決定における不確実性が減殺されたため、ビジネスでの資源の効率的な活用が可能となり、その結果グリーンスパン時代のアメリカ経済は急激な生産性の上昇をみることになった。中央銀行にインフレ率を安定させるための能力ないし技術が備わっているかどうかについて私フリードマンはこれまで懐疑的であったけれども(歴史上何度も繰り返される失敗から私はそう判断したのであり、マネーサプライルールを設けて政策運営の自由度を縛るべきであると主張した理由も彼ら中央銀行家の裁量には任せておけないと考えたからである)、グリーンスパンの政策運営の実績を前にしては私の(中央銀行のインフレを制御する能力への)疑念も撤回せざるを得ないであろう。マネーサプライルール(k%ルール)なしでも中央銀行はインフレを制御できるし、またインフレ率の変動を抑えることもできる。これからはインフレを制御できなかったからといって言い訳は一切できないだろう。グリーンスパンがやったようにすればいいんだから。中央銀行は何が何でもインフレを制御しなければならず、またインフレ率の上昇を許してはならない。

ただでは転ばぬフリードマン。さすがですな~。グリーンスパンのおかげで他国の(バーナンキ新体制のFRBも含む)中央銀行は大きな責任・義務を背負わされたわけです。どっかの島国の中央銀行はやりすぎの感がありますけども(過ぎたるは及ばざるが如し、っていいますからね~)。あ、直訳じゃないです、念のため(ほぼ(後半部の)直訳ですけど)。

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Friedman's Plucking Model

Economist's View(by Mark Thoma)を覗いたらフリードマンのPlucking Model関連の話題が取り上げられていた。

“New Support for Friedman's Plucking Model”
http://economistsview.typepad.com/economistsview/2006/01/new_support_for.html

Plucking Modelによれば・・・

Plucking 経済は長期的なトレンド線に沿って(トレンド線を挟んで)上下に対称的に循環するのではなくて、基本的には経済は完全雇用GDPないしは潜在GDP水準を維持しつつ進行する(トレンド線を超えて景気が過熱することはない、政策的な支えなしには、かな?)もののネガティブな需要ショック(例えば行き過ぎた金融引締め)によってデフレギャップが発生→時間が経つにつれて潜在GDP水準に復帰→ネガティブな需要ショック→トレンド線へ復帰・・・を繰り返す。ブームの規模はそれ以前の景気下降の程度によっておおよそ推測可能である(=相関関係(←GDPの下落幅とその後のGDPの上昇幅の間における相関関係)が見出しうる)が(トレンド線(トレンド自体の変化の可能性は排除しないが)からの落ち込みをカバーするようにその後のブームの過程でGDPが上昇する)、ブーム後の不況の程度(←GDPの下落幅、の方が正確か)は予測できない。

Plucking Modelによれば今日の不況は前回のブームとは無関係ということになる。景気があまりにも過熱し過ぎたがために(種々の過剰(今の日本では3つの過剰(=過剰雇用・過剰負債・過剰設備)なんて言われてますが)をキャンセルする必要から)今日経済は停滞せざるを得ないということはいえず、またブームが過熱的であればあるほど不況の深度も深いとは言えない。

"If further substantiated empirically," the lack of boom-bust correlation "would cast grave doubt on those theories that see as a source of a deep depression the excesses of the prior expansion [the Mises cycle theory is a clear example]." (さらなる実証的な証拠によってこのモデルの妥当性が支持されるならば、boom-bustの間には何の相関関係も存しないというこのモデルの結論は、不況の原因をそれ以前の過剰な景気拡張に求めるオーストリア流の景気循環理論の妥当性に重大な疑問を投げかけることになろう)                          (Roger W. Garrison、“Friedman's "PluckingModel"”より引用)

Garrisonはこのフリードマンの主張に反論して、Plucking Modelとオーストリア流景気循環理論との接合を図ろうとする。フリードマンとオーストリア学派の間ではブームの意味合いが異なりそれぞれブームという語で、フリードマン=bust後にトレンド線へと回帰する過程/オーストリア学派(特にミーゼス・ハイエク)=信用拡張によるmalinvestment、を表現している。信用拡張によるmalinvestmentは(経済の消費構造と適合的でない利子率環境を人為的な政策によって生み出した場合に)経済がトレンド線上に沿って進行している過程において生じるものであり、その歪みが徐々に蓄積しやがて調整局面を向かえるや、bustという結果を招くことになる(malinvestmentの調整過程におけるsecondary deflation)。フリードマンは経済がトレンド線上にあることをもって経済が正常に進行している証拠と見なすが、実は(信用拡張により人為的な景気拡張を生み出すことで)トレンド線上において既にその後のbustの種が蒔かれているとオーストリア学派は考えるわけである。政策(の失敗)による経済の撹乱がbustの一つの原因であるという点で両者に違いはない。

(追記)上に貼り付けたグラフをどこから引っ張ってきたか失念、・・・しちゃってましたが無事発見。

Roger W. Garrison、“Is Milton Friedman a Keynesian?”。Garrisonさんだったのね。

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ケインズ革命の弊害

Milton Friedman(1968)、“The role of Monetary Policy”, The American Economic Review, Vol.58(1)。

(ヴィクセルの自然利子率概念にヒントを得て)自然失業率なる概念が初登場する論文(=アメリカ経済学会会長講演)。フリードマン,カルドア, ソロー/新飯田宏訳『インフレーションと金融政策』(日本経済新聞社, 1972年)に邦訳されたものが所収・・・のはず(手元にないんで断言はできませんけれども)。本論文の導入部において論じられている金融政策への評価の変遷について少しばかりまとめておこうかと(保坂直達訳『インフレーションと失業』(マグロウヒル好学社, 1978年)所収の「第Ⅳ講 貨幣的経済理論における反革命」は以下の議論と補完的な内容となっております)。

金融政策の(経済安定化の手段としての)有効性については、時代ごとに―振り子が大きく左右に振れるごとく―両極端の見解が大勢を占めるに至ってきた。金融政策の万能性を喧伝する意見が多数の支持を勝ち得たかと思うと、金融政策の無効性を弁じたてる主張が説得的なものとして受け入れられるようになる。1920年代のアメリカ経済の未曾有の繁栄はFRBによる巧緻な(あるいは時宜を得た)金融政策の賜物であり、今や(知識と経験を備えた(有能な)FRBによる金融政策運営を前提する限り)景気変動は過去の遺物と成り果てたのだ、との強気の声も1930年代の大不況を経験するや一転して悲観的な物言い―「金融政策は紐のようなものであり、紐は引く(=景気の過熱を抑えるあるいはインフレの加速を抑止する)ことはできても押す(=景気停滞から経済を救い出す)ことはできない」and「馬を水飲み場まで連れて行くことはできても水を飲ませることはできない」―に取って代わられることになる。戦後20年間は金融政策の(景気安定化手段としての)無効性が当然視された時代であり、金融政策の役割は国債の利払い費を抑え(あるいは国債の価格を維持するために)、また金利生活者の安楽死に寄与するために利子率を低位に安定させること(=cheap money policy)に限定された。しかしながら、各国におけるcheap money policyの採用は過剰な流動性の供給を結果し、(戦間期のように失業や不況ではなくて)インフレーションが戦後経済の主要課題であることが明らかになるにつれて金融政策のポテンシャル(マクロ経済へ与えるインパクト)に関する見直しの機運が生じ始めてきた。振り子が逆方向に(1920年代の方向に向かって)振れつつあるわけである。金融政策が一切無効であるということが誤りであるのと同じく、1920年代に信じられていたように金融政策によれば何事でも可能であるかのように論じるのもまたあまりに単純過ぎる見方である。「我々は金融政策にそれがなしうる以上の役割をあてがう危険に、またそれが解決できそうもない課題を押し付ける危険に、そしてその結果としてそれが本来なしうる貢献を阻害してしまう危険に、直面している(we are in danger of assigning to monetary policy a larger role than it can perform, in danger of asking it to accomplish tasks that it cannot achieve, and as a result, in danger of preventing it from making the contribution that it is capable of making.(p5))」。金融政策への過剰な期待を戒めるために、ここで金融政策にできること/できないことを慎重に議論しておく必要がある。不毛な議論を繰り返さぬためにも、また(金融政策への見解が右往左往することによって引き起こされる)マクロ経済の無用の混乱を予防するためにも、振り子の振れすぎは是非とも食い止めておかねばならない。

この流れで金融政策にできないこと=名目金利/失業率を一定の値に(自然利子率/自然失業率以上or以下に)ペッグすること(インフレないしデフレの加速なしにはペッグし続けることはできない)が後半で論じられるわけですが(*)、ここでは1930年代以降60年代頃までに支配的であった金融政策無効説の普及に果たしたケインズ革命の役割についてちょっとだけメモ。

ケインズないし彼の追従者たちによれば、1930年代の大恐慌は投資機会の消失(a collapse of investment/a shortage of investment opportunities)ないしは消費の節制(stubborn thriftiness)を原因とする総需要(有効需要)の収縮の結果として引き起こされたものであり、金融政策では対処不可能な事態であったとする。というのも、流動性の罠に陥っている(=貨幣の投機的需要が無限大)状況下においてはもはや金利を引き下げることができず、百歩譲って金融緩和の結果として金利が引き下げられたとしても設備投資や消費は金利に対して不感応的(金利が低下しても設備投資や消費はそれほど刺激されない)であると彼ら(Hansenをはじめとするアメリカン)ケインジアンは考えたからである。設備投資・消費の不足を補うために彼らが主張した代替策はというと・・・、そう財政政策である。政府支出(公共投資)により民間による設備投資の不足を補い、また減税により消費を喚起することによって有効需要の維持に努めるべきである。

ケインズ革命は金融政策無効説の理論的根拠となることによって各国によるcheap money policyの採用を後押しした。そしてcheap money policyこそがインフレの加速を招いた、とフリードマンは主張するわけであるから、戦後世界におけるインフレの蔓延=ケインズ革命がもたらした弊害と認識していることになりますか(こちらも参照)。

もう一つ。大恐慌理解に果たしたケインズ革命の弊害というのも考えられる。ケインジアンによれば、大恐慌はアグレッシブな金融政策ににもかかわらず引き起こされたものであり、金融政策の無効性を例証するまたとない事例と考えられた(Keynes and most other economists of the time believed that the Great Contraction in the United States occurred despite aggressive expansionary policies by the monetary authorities― that they did their best but their best was not good enough.(p3))。しかしながら、実際には大恐慌の期間中(1929~1933年)マネーサプライは3分の1も減少していたのであり、FRBによる金融政策はアグレッシュブどころかむしろ(マネタリーベースの供給を制限し、また金融システム危機に対処するための流動性供給の役割を放棄したわけであるから)デフレ促進的であったとさえ言い得るわけである。大恐慌は金融政策の無効性を実証するものではなく、反対に金融政策がいかに強力なインパクトを持ちうるのかをまざまざと知らしめる悲劇的な歴史的証言なのである(The Great Contraction is tragic testimony to the power of monetary policy― not, as Keynes and so many of his contemporaries believed, evidence of its impotence.)。金融政策が大恐慌に果たした(原因としての、またはそこからの脱出策としての)役割について一般にそれほど知られていないのもケインズ革命の影響によるところと言えるのかもしれない。

(*)一点だけ引用しとこう。

As an empirical matter, low interest rates are a sign that monetary policy has been tight― in the sense that the quantity of money has grown slowly; high interest rates are a sign that monetary policy has been easy― in the sense that the quantity of money has grown rapidly.

・・・Paradoxically, the monetary authority could assure low nominal rates of interest― but to do so it would have to start out in what seems like the opposite direction, by engaging in a deflationary monetary policy. Similarly, it could assure high nominal interest rates by engaging in an inflationary policy and accepting a temporary movement in interest rates in the opposite derection.(p7)

名目金利が低い水準にあるのは、それまで引締め気味の金融政策が実施されてきた結果であり、金融が緩和されている証拠では必ずしもない。逆に名目金利が高水準にあるのは、これまで緩和気味の金融政策が実施されてきた結果であって金融が引き締められている証拠とはならない。金融緩和により当初は金利は下落するであろうが、金融緩和の効果が浸透するにつれ徐々に(所得増加による貨幣需要増加の結果として、物価上昇による実質貨幣残高減少の結果として、また期待インフレ率の上昇の結果として)名目金利は上昇していく(金融引締めは当初は金利を引き上げ、その後徐々に金利は下落してゆくことになる)。現時点における名目金利水準が金融政策のどの時点における効果を反映しているかを判別することは困難であるため、 名目金利を金融政策運営上の指標とすること(名目金利の高低を金融が緩和されているかそれとも引き締まっているかの判断材料とすること)は危険である。

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2006年4月17日 (月)

我々は皆、ケインジアン=マネタリストである

J. Bradford DeLong、“The Monetarist Counterrevolution: An Attempt to Clarify Some Issues in the History of Economic Thought”。

Much of the history of macroeconomic thought is often taught as the rise and fall of alternative schools. Monetarists tend to write of the rise and fall of Keynesian economics--its rise during the Great Depression, and its fall in the 1970s under the pressure of stagflation and the theoretical critiques of Friedman, Phelps, Lucas, Sargent, and Barro. They tend to see this as the rise "interventionism" and then its decline and replacement by a more hands-off view that holds that monetary policy should be "neutral." Keynesians write of the rise and fall of monetarism--its rise during the monetarist counterrevolution, its fall as the instability of velocity and the money multiplier became clear, and its replacement by the modern "new Keynesian" paradigm.

ケインジアン/マネタリストの別にかかわらず、マクロ経済学の発展史を代替的な学派の栄枯盛衰の歴史として叙述する(=マネタリストであればケインジアンの隆盛と凋落に、ケインジアンであればマネタリストの隆盛と凋落に焦点を当てる)ことが一般的な慣わしとなっている。マネタリストに属する学者であれば、大不況(Great Depression)を契機としてマクロ経済学における支配的な立場を確立したケインジアンが1970年代に現実(=スタグフレーション)と理論の両面からの攻撃に晒され、あえなく没落していった姿を強調し、マクロ経済学の歴史を(ケインジアンの盛衰に歩を合わせるかたちでの)干渉(介入)主義的思考(=政府の市場に対する介入を容認する立場)の高まりと(マネタリスト反革命の結果としての)その衰退(加えてより自由主義的(市場志向的)な政策思考の登場)の歴史として描写する。一方ケインジアンに属する学者ならば、マクロ経済学の歴史をマネタリズムの盛衰の歴史として描写し-マネタリスト反革命の結果として経済学界にとどまらず一般社会においても確固たる地位を築いたかに見えるマネタリズムも貨幣の流通速度と貨幣乗数の不安定性が明らかになることで主流の座から滑り落ちてゆく(=“Political Monetarism”の敗北。こちらも参照していただければ)-、希望溢れる筆致でもってマクロ経済学の将来(=マネタリズムの没落に平行してのニューケインジアンの台頭(=主流派としてのニューケインジアン))を予期することになる。マネタリスト/ケインジアンともに、互いの考えは完全に相容れないものであり、他方の隆盛は一方の没落を結果することを当然のことと考えている。マネタリストとケインジアンが同意することなどあり得ない、というわけである。

ケインジアン(正確にはニューケインジアン)はマネタリストであり、同時にマネタリストはケインジアンである。DeLongはこう主張することで上記のマクロ経済学思想史の見方(=マネタリスト/ケインイジアンの相克の歴史)に異議を唱える。ケインジアンがマネタリストであるとは一体どういう意味か?

DeLongは(種々雑多な考えをその中に含む)ニューケインジアンが最低限共有するであろう5つのポイント(経済分析の態度)をあげる。

①雇用と生産の変動を理解するためには名目(nominal)所得と名目支出に対するショックが実質(real)支出の変化と物価水準の変化の間にどのように分解されるか(その過程)を見定めることが重要な鍵となる

②通常の経済状況では、景気安定化の手段(tool for stabilization)としては財政政策よりも金融政策のほうがヨリ有効である

③景気変動(GDPの変動)は長期的なトレンドを中心にその周りを変動(循環)するものとして(トレンド線に沿った動きとして)捉えることが適当である-潜在GDP水準以下の動きとして見るよりは-

④マクロ安定化政策を分析する態度としては、個々別々の政策対応を要する経済状況に密着してマクロ安定化政策の是々非々を論ずるのではなく、政策ルールが経済に与える影響(=政策ルールの持つ意味の解明)という観点からマクロ政策の是非を論ずることが望ましい

⑤マクロ安定化政策の限界を弁える必要がある(=マクロ政策は万能ではない);財政政策は効果が現れるまでに長い時間を要し、またその政策効果も小さい(=小さい乗数)という点、金融政策は時間的なラグと変数間のラグ(例えばマネーサプライと物価の関係が不安定になったり)の存在によりその政策効果が不確実であるという点に留意すべきである 

この5つのポイントは、実のところフリードマンがその昔主張していた論点と軌を一にしている。

The importance of analyzing policy in an explicit, stochastic context and the limits on stabilization policy that result comes from Friedman (1953a). The importance of thinking not just about what policy would be best in response to this particular shock but what policy rule would be best in general--and would be robust to economists' errors in understanding the structure of the economy and policy makers' errors in implementing policy--comes from Friedman (1960). The proposition that the most policy can aim for is stabilization rather than gap-closing was the principal message of Friedman (1968). We recognize the power of monetary policy as a result of the lines of research that developed from Friedman and Schwartz (1963) and Friedman and Meiselman (1963). And a large chunk of the way that New Keynesians think about aggregate supply saw its development in Friedman’s discussions in Friedman (1970) and Friedman (1971a).

マクロ政策を裁量的な政策手段としての観点からではなくルールとしての観点から捉え直すべきであるという考え、マクロ政策をGDPギャップを埋めるための手段としてではなく景気変動を均す安定化政策としてみなすべきであるという主張。フリードマン=シュワルツによる大恐慌研究により明らかになった金融政策のインパクトの強さ・・・。こうしてフリードマンの過去の議論(の一部)を振り返ってみれば、ニューケインジアンはフリードマンの(そしてClassic Monetarism)の直系の子孫であるといっても過言ではないのではないか。二者間の違いは一体どこにあるというのだろうか。フリードマンの思考を継承し発展させたニューケインジアン(=フリードマンという骨格にニューケインジアンが肉付けをしてゆく)という図式には何の違和感もない。ケインジアンは実は気付かぬところでマネタリストでもあったわけである。

Thus a look back at the intellectual battle lines between "Keynesians" and "monetarists" in the 1960s cannot help but be followed by the recognition that perhaps "new Keynesian" economics is misnamed. We may not all be Keynesians now, but the influence of "monetarism" on how we all think about macroeconomics today has been deep, pervasive, and subtle.

ではマネタリストはケインジアンであるという言辞は何を意味しているのだろうか。

マネタリズムはケインズ経済学への対抗上(ケインズ経済学との違いを際立たせるために)、マクロ経済学におけるレッセフェールの復興という使命・大義を背負って登場した。政府がなすべきことは金融政策を景気に対して“中立的”な状況に保つことだけであり、政府はむやみやたらと市場に口出しすべきではない。自由な市場競争の確保と中立的な金融政策運営の下においてでも(こそ?)マクロ経済の安定は実現可能なのである(ファインチューニング(=裁量的な政策運営)こそが景気変動の振幅を大きくし景気を不安定化させる一因となっているともいえる)。このように主張するマネタリズムと政府の経済介入に積極的な態度を示すケインジアンの間には大きな溝が存在する。ように見えるが・・・。

The critique of monetary policy during the Great Depression found in Friedman and Schwartz (1963) is precisely that the Federal Reserve did not do enough to stimulate the economy during the Great Depression. It injected reserves into the banking system, yes, but it did not inject enough reserves to counteract the decline in the money multiplier that took place between 1929 and 1933 that reduced the money stock and starved the economy of liquidity.

And what Friedman and Schwartz (1963) would call a "neutral" hands-off monetary policy during the Great Depression--one that kept the nominal money stock fixed--would have been condemned by pre-World War II over-investment theorists as extraordinarily interventionist. Indeed, it would have been. Between 1929 and 1933 the Federal Reserve raised the monetary base by 15% while the nominal money stock shrunk by a third. The position of Friedman and Schwartz (1963) is that the Federal Reserve should have injected reserves into the banking system much, much faster. Sometimes to be "in neutral" requires that you push the pedal through the floor.

比較の対象をケインジアン/マネタリストの二者間に限定するのではなく、もう少し視野を広く取ってみると、例えばpre-Keynesian business cycle theoryも比較対象に入れて考えてみるならば、ケインジアン/マネタリストの間の違いは些細なものに見えてくる。大恐慌期当時のFRBがとった金融政策に対するフリードマン=シュワルツによる批判-貨幣乗数の下落(銀行の破産が続発することで銀行制度への信認が減退し、大量の預金引き出しが生じた)を相殺するだけの十分なマネタリーベースを経済に注入することでマネーサプライの縮小を食い止めるべきであったにもかかわらず、実際には貨幣乗数の下落を相殺するに十分なだけのマネタリーベースが供給されることはなかった(マネタリーベースの供給量自体は以前よりも増加したけれども)-は、pre-Keynesian business cycle theoryからしてみればあまりにも介入主義的な発想であり、彼ら(=素朴な貨幣数量説論者・清算主義者)の目にはケインジアンとマネタリストの姿がダブって見えることだろう(pre-Keynesian business cycle theoryの観点からすると15%の伸び率でマネタリーベースの供給量を増加させる政策当局の行動でさえもが好ましからざるもの(=清算主義者)あるいは無駄である(=素朴な貨幣数量説論者)と考えており、更なるマネタリーベースの供給を要求するフリードマン=シュワルツの主張は彼らには行き過ぎた金融緩和であると見做されることであろう)。“中立的”な金融政策(マネーサプライの水準を維持すべき(であった)というフリードマン=シュワルツの主張は中立的な金融政策と言い得るであろう)は、時と場合によっては政府による積極的な経済介入を意味することがあるわけである(清算主義については後日別枠でエントリーする予定)。

They(=Monetarist;引用者) are Keynesians in the sense that they have the same profound and deep distrust in the laissez-faire market economy's ability to deliver macroeconomic stability. Moreover, they share the confidence John Maynard Keynes had that limited and strategic government interventions and policies could produce macroeconomic stability while still leaving enormous space for the operation of the market.

Keynes saw the market economy as having two great flaws: first, that demand for investment was extraordinarily and pointlessly volatile as business leaders and investors attempted the hopeless task of trying to pierce the veil of time and ignorance, and, second, that the fluctuations in the wage level that classical economic theory relied on to bring the economy back into balance after such an investment fluctuation either did not work at all or worked too slowly to be relevant for economic policy. (No, I am not going to be drawn into the debate about "unemployment disequilibrium.") But if these problems could be fixed, Keynes believed, then the standard market-oriented toolkit of economists was worthwhile and relevant once more.

And this is exactly Friedman's position. The tools used are a little different--rather than Keynes's focus on investment plus government spending, Friedman focuses on the banking system and the money stock. But in each case the vision is one of powerful and strategic but focused and limited government intervention and control of a narrow section of the economy, in the hope that the merits of laissez-faire can flourish in the rest of the economy.

自由な市場競争の余地を十分に確保した上で、市場に任せておいただけでは解決不能な問題(市場の失敗あるいは欠陥)-ケインズであれば民間の設備投資の不安定性や賃金の硬直性、フリードマンであれば貨幣乗数の不安定性を生む現行の銀行制度-には限定的で戦略的な政府介入によって対処する。マクロ経済の安定は市場と政府の相互補完的な協調関係によって実現可能となる。ケインズとフリードマンの間(加えてケインジアンとマネタリストの間)に通奏低音のように流れている共通の土台(経済の見方)-マネタリスト=レッセフェールの信奉者、という先入観(マネタリスト自身が積極的に流布したものかもしれないが)によって見えにくくなっている両者間のコンセンサス-である。マネタリスト=完全なレッセフェールの主導者では決してないのである(“中立的”という言葉に惑わされてはならない。加えてフリードマンの金融システム改革の提言や大恐慌期のFRB批判を思い起こす必要がある)。

フリードマンの影を引きずるニューケインジアン・・・。程度の差はあれ(ケインジアンに比べればヨリ消極的だろうが)政府の経済介入を容認するマネタリスト・・・-pre-Keynesian business cycle theoryの視点から眺めればマネタリストとケインジアンの類似性は一層際立つことになる-。マネタリスト的なケインジアンとケインジアン的なマネタリスト・・・。我々は皆、ケインジアンであると同時にマネタリストでもある、というわけだ。

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4つのマネタリズム

J. Bradford DeLong、“The Triumph of Monetarism?”。

同じくDeLongの手になる“The Monetarist Counterrevolution: An Attempt to Clarify Some Issues in the History of Economic Thought”(ニューケインジアン? ニュークラシカル(あるいはマネタリスト)? 戦前の素朴な貨幣数量説論者や清算主義者(Liquidationist)から見れば同類だよ、というような話)を読むため(というかこっちを先に読んだんだが)の下準備。学習帳らしい話題かと。

マネタリズムと一口に言っても、その立場から主張されていることは時代により人により微妙に違う。マネタリズムの歴史的変遷をたどってみると、その議論展開の特徴に基づいてマネタリズムを大まかに4つ(の時代)に分けることができるのではないか、とDeLongは語る。以下DeLongによるマネタリズムの4分類。

1.First Monetarism

代表的な論者はアーヴィング・フィッシャーや『貨幣改革論』以前のケインズ(「In the long run, we are all dead」というケインズの言葉はFirst Monetarismからの決別を象徴するものであった)、ロビンズ、シュンペーターなど。(ロビンズ、シュンペーターがFirst Monetarismの一員だったというよりは彼らの手によってFirst Monetarismがあたかも政策の無効性を主張する議論であるかのようにカリカチュアされた、とした方が適当ですね)。物価や利子率の決定因、景気変動を生み出す要因としてマネーストックに着目し、貨幣数量説を物価水準やインフレ率、利子率の数量的な分析や予測の道具として初めて明示的に利用したのはフィッシャーである。精緻な経済分析(analysis)は存在するものの全体として理論(theory)体系は未発達であった(フィッシャーのデットデフレ理論なんかもあるが)。特に後二者に見られる特徴であるが(素朴な貨幣数量説の信奉者―貨幣量が二倍になれば物価水準が二倍になるだけで実体経済には何の変化も生じない―も含まれるかもしれない)、不況からの脱却を目的とする財政金融政策の有効性に懐疑的な見方を示す(monetary and fiscal policies were bound to be ineffective--counterproductive in fact--in fighting recessions and depressions because they could not create true prosperity, but only a false prosperity that would contain the seeds of a still longer and deeper future depression.;“The Monetarist Counterrevolution~”において(清算主義者としてのシュンペーターについて論じている箇所で)詳細に取り上げられているが、総需要喚起策は実体経済に何の効果も及ぼさないと考えているわけではなく、むしろ効きすぎる結果として将来の経済発展(企業家によるイノベーション)を阻害するために総需要刺激策に否定的な見解を有する。「空景気」を無理やり生み出す総需要喚起策は根本的な処方箋ではない!!)。その結果、First Monetarismは政策無効を支持する議論として受け止められるに至る(フリードマンにすればこの見方はFirst Monetarismを“atrophied and rigid caricature”したものとなる。アービング・フィッシャーはこの意味でのFirst Monetaristではないということになりますかね)。

2.Old Chicago Monetarism

代表的な論者はViner, Simons, and Knight。いわゆるChicago School oral traditionのこと。(1)景気動向(好況/不況)や物価動向(インフレ/デフレ)が経済主体の貨幣保有のインセンティブに影響を与える(貨幣保有の機会費用が変化すると言い換えてもよい)結果として貨幣の流通速度は一定にはならず(=変化しやすい)、(2)預金準備率や現金・預金比率は変化しやすく(整備された預金保険制度を伴わない準備預金制度下においては、預金返済の確実性の程度が劣るためにちょっとしたきっかけで預金保有者による取り付け騒ぎが引き起こされる可能性が高く、取り付けを恐れる銀行の行動は預金準備率を、預金の安全性に疑念を持つ預金保有者の現金選好は現金・預金比率を大きく変動させることになる)、そのため貨幣乗数の値も予測困難なものとなるためにマネーサプライを思うままにコントロールすることは難しい、との認識を有する。(Old Chicago Monetarism (a) did not believe that the velocity of money was stable, and (b) did not believe that control of the money supply was straightforward and easy.)。また、大不況(Great Depression)期にはデフレ(あるいは不況)を放置する政策当局を批判し、積極的な金融緩和や財政赤字の拡大も辞さない大幅な政府支出増により不況がもたらす痛みを緩和すべきと政策当局に訴えた実績があり(この点についてはR.E.パーカー著『大恐慌を見た経済学者11人はどう生きたか』でフリードマンが触れていたと記憶)、この点は(atrophied and rigid caricatureされた)First Monetarismとの大きな違い(Old Chicago Manetaristは財政金融政策は不況対策として有効であり、また実施すべきであると考えていたため)と言える(先に挙げた二つの特徴((1)と(2))は素朴な貨幣数量説への疑問を呈しているわけで、この点も違いと言えるかもしれない)。

(おまけ)パティンキンやハリー・ジョンソンによればChicago School oral traditionなんてものは存在しない、フリードマンの創作に過ぎないということになる(In Patinkin and Johnson's view, Old Chicago Monetarism was a retrospective construction by Milton Friedman (1956). In their view, Friedman used "Keynesian" tools and insights to provide a retrospective post-hoc theoretical justification for policy recommendations that had little explicit theoretical base at the time, and to construct for himself some intellectual antecedents.)。手元にあるジョンソン著『ケインジアン-マネタリスト論争』にはこう書いてある。

・・・一つの伝説を作り出すことでした。すなわち、ケインズ派独裁の暗黒時代に少数の先駆者のグループが存在し、貨幣数量説が根本的事実を伝えるものとしてシカゴ大学における口伝えの奥義として守ってきたというものです。・・・シカゴ学派は、次のような伝説を作り上げました。すなわち、ミッドウェイ(シカゴ市内にあるシカゴ大学の所在地)にある秘密の神社には孤高の光が燃え、光を求めた信者たちをよび集め、おびやかされることなく真実が大衆に明示される日が来るのを待つようにはげましつづけた。そしてそこでともされたローソクは、その光が遠く広くひろがり、古い宗教からの改宗者をひきつけるチャンスが到来したときにわざわざ作られたものでした。結局、この伝説は根拠がなく後から作られたものにすぎませんでした。(p168~170)

3.Classic Monetarism

代表的な論者はFriedman、Brunner、Meltzer、 Cagan・・・etc。多くの(現在においても)有益な研究成果―ハイパーインフレ下では貨幣需要関数は極めて安定的なものとなる、マクロ政策の限界-ラグや政策効果の不確実性-についての認識、ルール型政策の重要性(←ファインチューニングの弊害(=政策実施のタイミングの誤りやら経済の現状分析の誤りやら)を避けるための手段としてのルール)、フリードマン=シュワルツによる大恐慌研究などなど―を生み出しており、ニューケインジアン陣営においてもClassic Monetarismの研究結果は重宝されている(あるいは確かなものとして受容されている)。本来のマネタリズムと言うべきか。

Classic Monetarismには、(Ⅰ)Old Chicago Monetarismによって把握されていたマクロ経済の不安定性を生み出す根源-変化する貨幣の流通速度/不安定な貨幣乗数-の除去を目指して貨幣・金融制度の改革を提言する動きと、(Ⅱ)リバタリアン的な政治思想へと合流する動き、が複雑に絡み合っていた。(Ⅰ)は民間の銀行に100%の預金準備率を課すことにより貨幣乗数を安定的なものにしよう(そしてマネーサプライの制御可能性(controllability)を高めよう)との試み(預金準備率が100%であれば民間部門による預金準備率の操作の余地はなくなり、また預金保有者も自分の預金が完全に保全されるため現金・預金間の資産選択が一時の動揺(=風評)により左右されることはなくなる=現金・預金比率の安定化)や名目貨幣成長率を一定に保つ(=k%ルールってやつです)ことでインフレやデフレによって貨幣ストック成長率が変動することを防ぎ(=受動的金融政策からの離脱)、もって貨幣乗数を安定化させよう(そしてマクロ経済の変動を安定化させよう)との提言を生む。(Ⅱ)はk%ルールを選挙時における過度の金融緩和(=政治的景気循環)の可能性を絶ち(あるいは特定の政党ないし利益集団を益するために金融政策が利用されることを防ぎ)、中央銀行の裁量の幅を狭める手段として、つまりは政府の権力を縮小させる手段として看做すことにより、政治思想的な観点からのk%ルールの正当化根拠となった(The monetarist policy recommendations of a stable growth rate for nominal money and a constrained, automatic central bank were then seen as having an added bonus: they were tools to advance the libertarian goal of the shrinkage of the state.)。

Classic Monetarismはフリードマンとフェルプスによる予測-短期的なフィリップス曲線の妥当性への疑問(これまでの安定した(失業率-インフレ率間の)関係の崩壊を予想)-が現実のものとなったこともあって(誰かさんの予想とは違って見事に当たったわけです。誰かさんの予想には理論的根拠なんてものはありませんでしたけどフリードマンらは自然失業率仮説というしっかりとした裏づけを備えておりました)、1970年代の経済学界において最も大きな影響力を持つことになる。

4.Political Monetarism

1970~80年代のアメリカ社会で実際に大きな影響力を有したマネタリズム。世俗化されたマネタリズムとでも表現すべきか。Political Monetarismは条件をつけることなく貨幣の流通速度は安定していると断言し(Old Chicago/Classic Monetarismによる観察はまったく無視されている)、貨幣制度の改革がなくともマネーサプライが完全にコントロールできるかのように語る(フリードマンが貨幣制度改革の必要性をあれほど強く訴えた理由も無視されるわけです)。貨幣の流通速度が安定しており、中央銀行がマネーサプライを完全に管理できるなら将来の物価動向や名目GDP水準に関する予測は非常に容易なことになります。マネーサプライだけを見てれば大丈夫ですから。不況やインフレ率の過度の変動をもたらす元凶も唯一つ。適切なマネーサプライ成長率の維持に失敗した中央銀行(経済の良し悪しは中央銀行によるマネーサプライ成長率(=中央銀行が自由にその値を決めることができます)だけによって決定されるわけです)(Everything that went wrong in the macroeconomy had a single, simple cause: the central bank had failed to make the money supply grow at the appropriate rate.)。単純明快ですな~(Money mattersをもじればOnly money mattersということになりますか。 any policy that does not affect "the quantity of money and its rate of growth" simply cannot "have a significant impact on the economy.")。

そのわかり易さも手伝って(スタグフレーションという事態を説明できずにいたオールドケインジアンの失態もあって)、マネタリズムの教義は経済学の世界のみならず一般大衆の中にまで広く受容されるようになった。政策の場においてもFRBのヴォルカー議長の主導によって金融政策の操作変数(あるいは中間目標)が金利からマネタリーベース(マネーサプライ)という量的な指標へと変更されることになる(=新金融調節方式(79年10月;非借入準備残高が操作変数に 82年10月;連銀貸出残高が操作変数に))。The Triumph of Monetarismは誰の目にも明らかだった。

マネタリズムにとって不幸であったことは、Political Monetarismがマネタリズム一般と同一視されたことである。というのも、1980、90年代には貨幣の流通速度が大きく変動し、マネーサプライのコントロールが予想以上に困難である(=マネタリーベースとマネーサプライの関係が不安定である)ことが判明したからである。一般大衆から“Monetarism”として認知されていたPolitical Monetarismの主張が現実と大きく食い違うことにより、Political Monetarismだけではなく“Monetarism”までもがその信用を大きく傷つけられることになってしまう。わかりやすさあるいは国民各層からの支持獲得を追求した代価として失ったものはあまりにも大きかった・・・(1980年代に貨幣の流通速度は不安定な動きを示したが、Old Chicago/Classic Monetaristならばインフレ率の急速な下落が資産保有の機会費用に大きな影響を及ぼすことにより貨幣の流通速度が不安定になることを予測しえたであろうに・・・)。

These(特にClassic Monetarismが有する;引用者)insights survive, albeit under a different name than "Monetarism." Perhaps the extent to which they are simply part of the air that modern macroeconomists today believe is a good index of their intellectual hegemony.

Political Monetarismの失墜とともにマネタリズムの名も人々の記憶から忘れ去られることになる。マネタリズムの歴史的使命は終わった・・・。

という悲しい結末ではなくて、マネタリズムの伝統は現在のマクロ経済学の基底に脈々と息づいているのであり、死に絶えたわけでは決してない。マネタリズムの名を目にする機会が減ったのはその存在が忘れられたためではなく、当たり前のこと過ぎて(空気のような存在と化したために)見えにくくなったため(浸透しすぎてその存在が確かめにくくなったから)である。マネタリズムの、あるいはClassic Monetarismの(もっと限定してフリードマンの、といってもよい)生命はニュークラシカルにとどまらずニューケインジアンの中にもしっかりと根付いている。というのが冒頭にあげたDeLongのもう一つの記事“The Monetarist Counterrevolution~”の主題の一つ。

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