2006年4月17日 (月)

金では買えないもの

The gold standard and the Great DepressionEconbrowser by James D. Hamilton)。

Under a pure gold standard, the government would stand ready to trade dollars for gold at a fixed rate. Under such a monetary rule, it seems the dollar is "as good as gold."・・・Except that it really isn't-- the dollar is only as good as the government's credibility to stick with the standard.

・・・A gold standard only works when everybody believes in the overall fiscal and monetary responsibility of the major world governments and the relative price of gold is fairly stable. And yet a lack of such faith was the precise reason the world returned to gold in the late 1920's and the reason many argue for a return to gold today. Saying you're on a gold standard does not suddenly make you credible. But it does set you up for some ferocious problems if people still doubt whether you've set your house in order.

金本位制が円滑に機能するためには平価(=金と通貨との法定兌換レート)が変更されないあるいは政策当局はどんな事態が生じようとも平価維持に尽力するという評判・信用が確立されていなければならない。平価維持のコミットメントが信用されなければ投機アタックによる通貨危機を招きよせる危険が待ち構えている。(何が何でも平価を死守するという意味で)責任ある/信頼ある政府の存在なくして金本位制は機能し得ない。平価維持のコミットメントは通貨に金の縛りをかけることによって自動的に信用されるわけではなく、実際の政府当局による責任ある(=平価維持のためには犠牲(=国内経済の不安定化)も厭わない)行動によって裏付けられるものである。信頼は金(きん)では買えない、ってことですね。まあ、そこまでこだわる必要もないタイプの責任/信頼ですけども(金本位制あるいは固定相場制に固執する理由はありませんから)。Brad DeLong,“Why not the Gold Standard?”も参照のこと。

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我々は皆、ケインジアン=マネタリストである

J. Bradford DeLong、“The Monetarist Counterrevolution: An Attempt to Clarify Some Issues in the History of Economic Thought”。

Much of the history of macroeconomic thought is often taught as the rise and fall of alternative schools. Monetarists tend to write of the rise and fall of Keynesian economics--its rise during the Great Depression, and its fall in the 1970s under the pressure of stagflation and the theoretical critiques of Friedman, Phelps, Lucas, Sargent, and Barro. They tend to see this as the rise "interventionism" and then its decline and replacement by a more hands-off view that holds that monetary policy should be "neutral." Keynesians write of the rise and fall of monetarism--its rise during the monetarist counterrevolution, its fall as the instability of velocity and the money multiplier became clear, and its replacement by the modern "new Keynesian" paradigm.

ケインジアン/マネタリストの別にかかわらず、マクロ経済学の発展史を代替的な学派の栄枯盛衰の歴史として叙述する(=マネタリストであればケインジアンの隆盛と凋落に、ケインジアンであればマネタリストの隆盛と凋落に焦点を当てる)ことが一般的な慣わしとなっている。マネタリストに属する学者であれば、大不況(Great Depression)を契機としてマクロ経済学における支配的な立場を確立したケインジアンが1970年代に現実(=スタグフレーション)と理論の両面からの攻撃に晒され、あえなく没落していった姿を強調し、マクロ経済学の歴史を(ケインジアンの盛衰に歩を合わせるかたちでの)干渉(介入)主義的思考(=政府の市場に対する介入を容認する立場)の高まりと(マネタリスト反革命の結果としての)その衰退(加えてより自由主義的(市場志向的)な政策思考の登場)の歴史として描写する。一方ケインジアンに属する学者ならば、マクロ経済学の歴史をマネタリズムの盛衰の歴史として描写し-マネタリスト反革命の結果として経済学界にとどまらず一般社会においても確固たる地位を築いたかに見えるマネタリズムも貨幣の流通速度と貨幣乗数の不安定性が明らかになることで主流の座から滑り落ちてゆく(=“Political Monetarism”の敗北。こちらも参照していただければ)-、希望溢れる筆致でもってマクロ経済学の将来(=マネタリズムの没落に平行してのニューケインジアンの台頭(=主流派としてのニューケインジアン))を予期することになる。マネタリスト/ケインジアンともに、互いの考えは完全に相容れないものであり、他方の隆盛は一方の没落を結果することを当然のことと考えている。マネタリストとケインジアンが同意することなどあり得ない、というわけである。

ケインジアン(正確にはニューケインジアン)はマネタリストであり、同時にマネタリストはケインジアンである。DeLongはこう主張することで上記のマクロ経済学思想史の見方(=マネタリスト/ケインイジアンの相克の歴史)に異議を唱える。ケインジアンがマネタリストであるとは一体どういう意味か?

DeLongは(種々雑多な考えをその中に含む)ニューケインジアンが最低限共有するであろう5つのポイント(経済分析の態度)をあげる。

①雇用と生産の変動を理解するためには名目(nominal)所得と名目支出に対するショックが実質(real)支出の変化と物価水準の変化の間にどのように分解されるか(その過程)を見定めることが重要な鍵となる

②通常の経済状況では、景気安定化の手段(tool for stabilization)としては財政政策よりも金融政策のほうがヨリ有効である

③景気変動(GDPの変動)は長期的なトレンドを中心にその周りを変動(循環)するものとして(トレンド線に沿った動きとして)捉えることが適当である-潜在GDP水準以下の動きとして見るよりは-

④マクロ安定化政策を分析する態度としては、個々別々の政策対応を要する経済状況に密着してマクロ安定化政策の是々非々を論ずるのではなく、政策ルールが経済に与える影響(=政策ルールの持つ意味の解明)という観点からマクロ政策の是非を論ずることが望ましい

⑤マクロ安定化政策の限界を弁える必要がある(=マクロ政策は万能ではない);財政政策は効果が現れるまでに長い時間を要し、またその政策効果も小さい(=小さい乗数)という点、金融政策は時間的なラグと変数間のラグ(例えばマネーサプライと物価の関係が不安定になったり)の存在によりその政策効果が不確実であるという点に留意すべきである 

この5つのポイントは、実のところフリードマンがその昔主張していた論点と軌を一にしている。

The importance of analyzing policy in an explicit, stochastic context and the limits on stabilization policy that result comes from Friedman (1953a). The importance of thinking not just about what policy would be best in response to this particular shock but what policy rule would be best in general--and would be robust to economists' errors in understanding the structure of the economy and policy makers' errors in implementing policy--comes from Friedman (1960). The proposition that the most policy can aim for is stabilization rather than gap-closing was the principal message of Friedman (1968). We recognize the power of monetary policy as a result of the lines of research that developed from Friedman and Schwartz (1963) and Friedman and Meiselman (1963). And a large chunk of the way that New Keynesians think about aggregate supply saw its development in Friedman’s discussions in Friedman (1970) and Friedman (1971a).

マクロ政策を裁量的な政策手段としての観点からではなくルールとしての観点から捉え直すべきであるという考え、マクロ政策をGDPギャップを埋めるための手段としてではなく景気変動を均す安定化政策としてみなすべきであるという主張。フリードマン=シュワルツによる大恐慌研究により明らかになった金融政策のインパクトの強さ・・・。こうしてフリードマンの過去の議論(の一部)を振り返ってみれば、ニューケインジアンはフリードマンの(そしてClassic Monetarism)の直系の子孫であるといっても過言ではないのではないか。二者間の違いは一体どこにあるというのだろうか。フリードマンの思考を継承し発展させたニューケインジアン(=フリードマンという骨格にニューケインジアンが肉付けをしてゆく)という図式には何の違和感もない。ケインジアンは実は気付かぬところでマネタリストでもあったわけである。

Thus a look back at the intellectual battle lines between "Keynesians" and "monetarists" in the 1960s cannot help but be followed by the recognition that perhaps "new Keynesian" economics is misnamed. We may not all be Keynesians now, but the influence of "monetarism" on how we all think about macroeconomics today has been deep, pervasive, and subtle.

ではマネタリストはケインジアンであるという言辞は何を意味しているのだろうか。

マネタリズムはケインズ経済学への対抗上(ケインズ経済学との違いを際立たせるために)、マクロ経済学におけるレッセフェールの復興という使命・大義を背負って登場した。政府がなすべきことは金融政策を景気に対して“中立的”な状況に保つことだけであり、政府はむやみやたらと市場に口出しすべきではない。自由な市場競争の確保と中立的な金融政策運営の下においてでも(こそ?)マクロ経済の安定は実現可能なのである(ファインチューニング(=裁量的な政策運営)こそが景気変動の振幅を大きくし景気を不安定化させる一因となっているともいえる)。このように主張するマネタリズムと政府の経済介入に積極的な態度を示すケインジアンの間には大きな溝が存在する。ように見えるが・・・。

The critique of monetary policy during the Great Depression found in Friedman and Schwartz (1963) is precisely that the Federal Reserve did not do enough to stimulate the economy during the Great Depression. It injected reserves into the banking system, yes, but it did not inject enough reserves to counteract the decline in the money multiplier that took place between 1929 and 1933 that reduced the money stock and starved the economy of liquidity.

And what Friedman and Schwartz (1963) would call a "neutral" hands-off monetary policy during the Great Depression--one that kept the nominal money stock fixed--would have been condemned by pre-World War II over-investment theorists as extraordinarily interventionist. Indeed, it would have been. Between 1929 and 1933 the Federal Reserve raised the monetary base by 15% while the nominal money stock shrunk by a third. The position of Friedman and Schwartz (1963) is that the Federal Reserve should have injected reserves into the banking system much, much faster. Sometimes to be "in neutral" requires that you push the pedal through the floor.

比較の対象をケインジアン/マネタリストの二者間に限定するのではなく、もう少し視野を広く取ってみると、例えばpre-Keynesian business cycle theoryも比較対象に入れて考えてみるならば、ケインジアン/マネタリストの間の違いは些細なものに見えてくる。大恐慌期当時のFRBがとった金融政策に対するフリードマン=シュワルツによる批判-貨幣乗数の下落(銀行の破産が続発することで銀行制度への信認が減退し、大量の預金引き出しが生じた)を相殺するだけの十分なマネタリーベースを経済に注入することでマネーサプライの縮小を食い止めるべきであったにもかかわらず、実際には貨幣乗数の下落を相殺するに十分なだけのマネタリーベースが供給されることはなかった(マネタリーベースの供給量自体は以前よりも増加したけれども)-は、pre-Keynesian business cycle theoryからしてみればあまりにも介入主義的な発想であり、彼ら(=素朴な貨幣数量説論者・清算主義者)の目にはケインジアンとマネタリストの姿がダブって見えることだろう(pre-Keynesian business cycle theoryの観点からすると15%の伸び率でマネタリーベースの供給量を増加させる政策当局の行動でさえもが好ましからざるもの(=清算主義者)あるいは無駄である(=素朴な貨幣数量説論者)と考えており、更なるマネタリーベースの供給を要求するフリードマン=シュワルツの主張は彼らには行き過ぎた金融緩和であると見做されることであろう)。“中立的”な金融政策(マネーサプライの水準を維持すべき(であった)というフリードマン=シュワルツの主張は中立的な金融政策と言い得るであろう)は、時と場合によっては政府による積極的な経済介入を意味することがあるわけである(清算主義については後日別枠でエントリーする予定)。

They(=Monetarist;引用者) are Keynesians in the sense that they have the same profound and deep distrust in the laissez-faire market economy's ability to deliver macroeconomic stability. Moreover, they share the confidence John Maynard Keynes had that limited and strategic government interventions and policies could produce macroeconomic stability while still leaving enormous space for the operation of the market.

Keynes saw the market economy as having two great flaws: first, that demand for investment was extraordinarily and pointlessly volatile as business leaders and investors attempted the hopeless task of trying to pierce the veil of time and ignorance, and, second, that the fluctuations in the wage level that classical economic theory relied on to bring the economy back into balance after such an investment fluctuation either did not work at all or worked too slowly to be relevant for economic policy. (No, I am not going to be drawn into the debate about "unemployment disequilibrium.") But if these problems could be fixed, Keynes believed, then the standard market-oriented toolkit of economists was worthwhile and relevant once more.

And this is exactly Friedman's position. The tools used are a little different--rather than Keynes's focus on investment plus government spending, Friedman focuses on the banking system and the money stock. But in each case the vision is one of powerful and strategic but focused and limited government intervention and control of a narrow section of the economy, in the hope that the merits of laissez-faire can flourish in the rest of the economy.

自由な市場競争の余地を十分に確保した上で、市場に任せておいただけでは解決不能な問題(市場の失敗あるいは欠陥)-ケインズであれば民間の設備投資の不安定性や賃金の硬直性、フリードマンであれば貨幣乗数の不安定性を生む現行の銀行制度-には限定的で戦略的な政府介入によって対処する。マクロ経済の安定は市場と政府の相互補完的な協調関係によって実現可能となる。ケインズとフリードマンの間(加えてケインジアンとマネタリストの間)に通奏低音のように流れている共通の土台(経済の見方)-マネタリスト=レッセフェールの信奉者、という先入観(マネタリスト自身が積極的に流布したものかもしれないが)によって見えにくくなっている両者間のコンセンサス-である。マネタリスト=完全なレッセフェールの主導者では決してないのである(“中立的”という言葉に惑わされてはならない。加えてフリードマンの金融システム改革の提言や大恐慌期のFRB批判を思い起こす必要がある)。

フリードマンの影を引きずるニューケインジアン・・・。程度の差はあれ(ケインジアンに比べればヨリ消極的だろうが)政府の経済介入を容認するマネタリスト・・・-pre-Keynesian business cycle theoryの視点から眺めればマネタリストとケインジアンの類似性は一層際立つことになる-。マネタリスト的なケインジアンとケインジアン的なマネタリスト・・・。我々は皆、ケインジアンであると同時にマネタリストでもある、というわけだ。

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4つのマネタリズム

J. Bradford DeLong、“The Triumph of Monetarism?”。

同じくDeLongの手になる“The Monetarist Counterrevolution: An Attempt to Clarify Some Issues in the History of Economic Thought”(ニューケインジアン? ニュークラシカル(あるいはマネタリスト)? 戦前の素朴な貨幣数量説論者や清算主義者(Liquidationist)から見れば同類だよ、というような話)を読むため(というかこっちを先に読んだんだが)の下準備。学習帳らしい話題かと。

マネタリズムと一口に言っても、その立場から主張されていることは時代により人により微妙に違う。マネタリズムの歴史的変遷をたどってみると、その議論展開の特徴に基づいてマネタリズムを大まかに4つ(の時代)に分けることができるのではないか、とDeLongは語る。以下DeLongによるマネタリズムの4分類。

1.First Monetarism

代表的な論者はアーヴィング・フィッシャーや『貨幣改革論』以前のケインズ(「In the long run, we are all dead」というケインズの言葉はFirst Monetarismからの決別を象徴するものであった)、ロビンズ、シュンペーターなど。(ロビンズ、シュンペーターがFirst Monetarismの一員だったというよりは彼らの手によってFirst Monetarismがあたかも政策の無効性を主張する議論であるかのようにカリカチュアされた、とした方が適当ですね)。物価や利子率の決定因、景気変動を生み出す要因としてマネーストックに着目し、貨幣数量説を物価水準やインフレ率、利子率の数量的な分析や予測の道具として初めて明示的に利用したのはフィッシャーである。精緻な経済分析(analysis)は存在するものの全体として理論(theory)体系は未発達であった(フィッシャーのデットデフレ理論なんかもあるが)。特に後二者に見られる特徴であるが(素朴な貨幣数量説の信奉者―貨幣量が二倍になれば物価水準が二倍になるだけで実体経済には何の変化も生じない―も含まれるかもしれない)、不況からの脱却を目的とする財政金融政策の有効性に懐疑的な見方を示す(monetary and fiscal policies were bound to be ineffective--counterproductive in fact--in fighting recessions and depressions because they could not create true prosperity, but only a false prosperity that would contain the seeds of a still longer and deeper future depression.;“The Monetarist Counterrevolution~”において(清算主義者としてのシュンペーターについて論じている箇所で)詳細に取り上げられているが、総需要喚起策は実体経済に何の効果も及ぼさないと考えているわけではなく、むしろ効きすぎる結果として将来の経済発展(企業家によるイノベーション)を阻害するために総需要刺激策に否定的な見解を有する。「空景気」を無理やり生み出す総需要喚起策は根本的な処方箋ではない!!)。その結果、First Monetarismは政策無効を支持する議論として受け止められるに至る(フリードマンにすればこの見方はFirst Monetarismを“atrophied and rigid caricature”したものとなる。アービング・フィッシャーはこの意味でのFirst Monetaristではないということになりますかね)。

2.Old Chicago Monetarism

代表的な論者はViner, Simons, and Knight。いわゆるChicago School oral traditionのこと。(1)景気動向(好況/不況)や物価動向(インフレ/デフレ)が経済主体の貨幣保有のインセンティブに影響を与える(貨幣保有の機会費用が変化すると言い換えてもよい)結果として貨幣の流通速度は一定にはならず(=変化しやすい)、(2)預金準備率や現金・預金比率は変化しやすく(整備された預金保険制度を伴わない準備預金制度下においては、預金返済の確実性の程度が劣るためにちょっとしたきっかけで預金保有者による取り付け騒ぎが引き起こされる可能性が高く、取り付けを恐れる銀行の行動は預金準備率を、預金の安全性に疑念を持つ預金保有者の現金選好は現金・預金比率を大きく変動させることになる)、そのため貨幣乗数の値も予測困難なものとなるためにマネーサプライを思うままにコントロールすることは難しい、との認識を有する。(Old Chicago Monetarism (a) did not believe that the velocity of money was stable, and (b) did not believe that control of the money supply was straightforward and easy.)。また、大不況(Great Depression)期にはデフレ(あるいは不況)を放置する政策当局を批判し、積極的な金融緩和や財政赤字の拡大も辞さない大幅な政府支出増により不況がもたらす痛みを緩和すべきと政策当局に訴えた実績があり(この点についてはR.E.パーカー著『大恐慌を見た経済学者11人はどう生きたか』でフリードマンが触れていたと記憶)、この点は(atrophied and rigid caricatureされた)First Monetarismとの大きな違い(Old Chicago Manetaristは財政金融政策は不況対策として有効であり、また実施すべきであると考えていたため)と言える(先に挙げた二つの特徴((1)と(2))は素朴な貨幣数量説への疑問を呈しているわけで、この点も違いと言えるかもしれない)。

(おまけ)パティンキンやハリー・ジョンソンによればChicago School oral traditionなんてものは存在しない、フリードマンの創作に過ぎないということになる(In Patinkin and Johnson's view, Old Chicago Monetarism was a retrospective construction by Milton Friedman (1956). In their view, Friedman used "Keynesian" tools and insights to provide a retrospective post-hoc theoretical justification for policy recommendations that had little explicit theoretical base at the time, and to construct for himself some intellectual antecedents.)。手元にあるジョンソン著『ケインジアン-マネタリスト論争』にはこう書いてある。

・・・一つの伝説を作り出すことでした。すなわち、ケインズ派独裁の暗黒時代に少数の先駆者のグループが存在し、貨幣数量説が根本的事実を伝えるものとしてシカゴ大学における口伝えの奥義として守ってきたというものです。・・・シカゴ学派は、次のような伝説を作り上げました。すなわち、ミッドウェイ(シカゴ市内にあるシカゴ大学の所在地)にある秘密の神社には孤高の光が燃え、光を求めた信者たちをよび集め、おびやかされることなく真実が大衆に明示される日が来るのを待つようにはげましつづけた。そしてそこでともされたローソクは、その光が遠く広くひろがり、古い宗教からの改宗者をひきつけるチャンスが到来したときにわざわざ作られたものでした。結局、この伝説は根拠がなく後から作られたものにすぎませんでした。(p168~170)

3.Classic Monetarism

代表的な論者はFriedman、Brunner、Meltzer、 Cagan・・・etc。多くの(現在においても)有益な研究成果―ハイパーインフレ下では貨幣需要関数は極めて安定的なものとなる、マクロ政策の限界-ラグや政策効果の不確実性-についての認識、ルール型政策の重要性(←ファインチューニングの弊害(=政策実施のタイミングの誤りやら経済の現状分析の誤りやら)を避けるための手段としてのルール)、フリードマン=シュワルツによる大恐慌研究などなど―を生み出しており、ニューケインジアン陣営においてもClassic Monetarismの研究結果は重宝されている(あるいは確かなものとして受容されている)。本来のマネタリズムと言うべきか。

Classic Monetarismには、(Ⅰ)Old Chicago Monetarismによって把握されていたマクロ経済の不安定性を生み出す根源-変化する貨幣の流通速度/不安定な貨幣乗数-の除去を目指して貨幣・金融制度の改革を提言する動きと、(Ⅱ)リバタリアン的な政治思想へと合流する動き、が複雑に絡み合っていた。(Ⅰ)は民間の銀行に100%の預金準備率を課すことにより貨幣乗数を安定的なものにしよう(そしてマネーサプライの制御可能性(controllability)を高めよう)との試み(預金準備率が100%であれば民間部門による預金準備率の操作の余地はなくなり、また預金保有者も自分の預金が完全に保全されるため現金・預金間の資産選択が一時の動揺(=風評)により左右されることはなくなる=現金・預金比率の安定化)や名目貨幣成長率を一定に保つ(=k%ルールってやつです)ことでインフレやデフレによって貨幣ストック成長率が変動することを防ぎ(=受動的金融政策からの離脱)、もって貨幣乗数を安定化させよう(そしてマクロ経済の変動を安定化させよう)との提言を生む。(Ⅱ)はk%ルールを選挙時における過度の金融緩和(=政治的景気循環)の可能性を絶ち(あるいは特定の政党ないし利益集団を益するために金融政策が利用されることを防ぎ)、中央銀行の裁量の幅を狭める手段として、つまりは政府の権力を縮小させる手段として看做すことにより、政治思想的な観点からのk%ルールの正当化根拠となった(The monetarist policy recommendations of a stable growth rate for nominal money and a constrained, automatic central bank were then seen as having an added bonus: they were tools to advance the libertarian goal of the shrinkage of the state.)。

Classic Monetarismはフリードマンとフェルプスによる予測-短期的なフィリップス曲線の妥当性への疑問(これまでの安定した(失業率-インフレ率間の)関係の崩壊を予想)-が現実のものとなったこともあって(誰かさんの予想とは違って見事に当たったわけです。誰かさんの予想には理論的根拠なんてものはありませんでしたけどフリードマンらは自然失業率仮説というしっかりとした裏づけを備えておりました)、1970年代の経済学界において最も大きな影響力を持つことになる。

4.Political Monetarism

1970~80年代のアメリカ社会で実際に大きな影響力を有したマネタリズム。世俗化されたマネタリズムとでも表現すべきか。Political Monetarismは条件をつけることなく貨幣の流通速度は安定していると断言し(Old Chicago/Classic Monetarismによる観察はまったく無視されている)、貨幣制度の改革がなくともマネーサプライが完全にコントロールできるかのように語る(フリードマンが貨幣制度改革の必要性をあれほど強く訴えた理由も無視されるわけです)。貨幣の流通速度が安定しており、中央銀行がマネーサプライを完全に管理できるなら将来の物価動向や名目GDP水準に関する予測は非常に容易なことになります。マネーサプライだけを見てれば大丈夫ですから。不況やインフレ率の過度の変動をもたらす元凶も唯一つ。適切なマネーサプライ成長率の維持に失敗した中央銀行(経済の良し悪しは中央銀行によるマネーサプライ成長率(=中央銀行が自由にその値を決めることができます)だけによって決定されるわけです)(Everything that went wrong in the macroeconomy had a single, simple cause: the central bank had failed to make the money supply grow at the appropriate rate.)。単純明快ですな~(Money mattersをもじればOnly money mattersということになりますか。 any policy that does not affect "the quantity of money and its rate of growth" simply cannot "have a significant impact on the economy.")。

そのわかり易さも手伝って(スタグフレーションという事態を説明できずにいたオールドケインジアンの失態もあって)、マネタリズムの教義は経済学の世界のみならず一般大衆の中にまで広く受容されるようになった。政策の場においてもFRBのヴォルカー議長の主導によって金融政策の操作変数(あるいは中間目標)が金利からマネタリーベース(マネーサプライ)という量的な指標へと変更されることになる(=新金融調節方式(79年10月;非借入準備残高が操作変数に 82年10月;連銀貸出残高が操作変数に))。The Triumph of Monetarismは誰の目にも明らかだった。

マネタリズムにとって不幸であったことは、Political Monetarismがマネタリズム一般と同一視されたことである。というのも、1980、90年代には貨幣の流通速度が大きく変動し、マネーサプライのコントロールが予想以上に困難である(=マネタリーベースとマネーサプライの関係が不安定である)ことが判明したからである。一般大衆から“Monetarism”として認知されていたPolitical Monetarismの主張が現実と大きく食い違うことにより、Political Monetarismだけではなく“Monetarism”までもがその信用を大きく傷つけられることになってしまう。わかりやすさあるいは国民各層からの支持獲得を追求した代価として失ったものはあまりにも大きかった・・・(1980年代に貨幣の流通速度は不安定な動きを示したが、Old Chicago/Classic Monetaristならばインフレ率の急速な下落が資産保有の機会費用に大きな影響を及ぼすことにより貨幣の流通速度が不安定になることを予測しえたであろうに・・・)。

These(特にClassic Monetarismが有する;引用者)insights survive, albeit under a different name than "Monetarism." Perhaps the extent to which they are simply part of the air that modern macroeconomists today believe is a good index of their intellectual hegemony.

Political Monetarismの失墜とともにマネタリズムの名も人々の記憶から忘れ去られることになる。マネタリズムの歴史的使命は終わった・・・。

という悲しい結末ではなくて、マネタリズムの伝統は現在のマクロ経済学の基底に脈々と息づいているのであり、死に絶えたわけでは決してない。マネタリズムの名を目にする機会が減ったのはその存在が忘れられたためではなく、当たり前のこと過ぎて(空気のような存在と化したために)見えにくくなったため(浸透しすぎてその存在が確かめにくくなったから)である。マネタリズムの、あるいはClassic Monetarismの(もっと限定してフリードマンの、といってもよい)生命はニュークラシカルにとどまらずニューケインジアンの中にもしっかりと根付いている。というのが冒頭にあげたDeLongのもう一つの記事“The Monetarist Counterrevolution~”の主題の一つ。

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強迫観念としての大不況

J. Bradford DeLong,“The Shadow of the Great Depression and the Inflation of the 1970s”。

1970年代にアメリカ経済を苦しめた加速するインフレ(高率のインフレ率の持続)の背後に1930年代の大不況(the Great Depression)の影(政策決定の場において一つの桎梏と化した記憶)を垣間見ることができる。物価安定よりも失業率の抑制(“完全雇用”)を優先する政策決定者の態度―ニクソン大統領は失業率を高める恐れがあるインフレの抑制には否定的であり("control inflation without a rise of unemployment";アイゼンハワー前大統領は反対にインフレの加速を許しかねない(過度の)景気刺激策には否定的であり、ニクソンは1960年の自らの大統領選での敗北の責任を彼のそのような(インフレ抑制を容認した)態度に求めている(八つ当たりです))、アーサー・バーンズFRB議長はインフレ期待の持続が構造化された(とバーンズが考える)戦後世界において政策的にインフレ率を操作することはできないと考えた(あるいは懐疑的な態度を示した)―が中央銀行に対する信認(credibility)―物価の番人としての中央銀行に対する信頼―をそぐかたちとなり(物価安定へのコミットに失敗したわけです)、その結果(民間経済主体が高率のインフレ期待を抱くことになってしまったがために)インフレ率は高い水準に止まり続けることになったからである。

DeLongは1970年代にインフレの加速をもたらした原因(の候補)を3つ挙げている。

1.until the 1980s no influential policymakers-until Paul Volcker became Chairman of the Federal Reserve-placed a sufficiently high priority on stopping inflation(インフレの抑制に高いプライオリティをおく政策決定者が存在していなかった―1980年代になってポール・ヴォルカーがFRB議長となるまでは―)

2.bad cards coupled with bad luck made inflation in the 1970s worse than anyone expected it might be(1に不運(石油ショック等特定商品の急激な値上がりを引き起こした防ぎようのないサプライショック)が重なったため)

3.the shadow cast by the Great Depression(大不況の記憶が政策決定に歪みをもたらしたため)

2はおいといて(DeLongは、ある特定商品の急激な値上がりが消費者物価自体をも上昇させることを必然と考えるのは相対価格と絶対価格を混同したものである、というフリードマンの議論(中国デフレ説を否定する議論として持ち出されるアレです)などをあげて1970年代の長期にわたってインフレの加速を招いた要因としてはサプライショックの影響はそれほど大きなものではないとしている)、1の背後には3が控えている。つまりは大不況の記憶によって政策決定者がインフレの抑制をそれほど重要視しなくなった(失業者の救済(失業率を低く抑える)のためにはインフレの招来も辞さなくなった(追記)ちょっと不正確。失業率を低下させることに躍起となったばかりにインフレ抑制に対する注意(関心)が弱まった。くらいの感じが適当か)のであり、根本的な原因は3であるということになる。

Why did the political consensus to reduce inflation not exist until the end of the 1970s? And why did makers of economic policy during the 1960s watch with little concern as inflation crept upward, and as expectations of rising rates of price inflation became embedded in labor contracts and firm operating procedures?

The source of these attitudes and frames of mind is, in a strong sense, the most profound cause of the inflation of the 1970s. And that source is the shadow cast by the Great Depression.

4人に1人が失業するという事態(遊休設備がそこら中にあふれかえっている事態)を迎えるや、経済は趨勢的な成長線(潜在GDP成長率)の周りを変動するものだという考え(経済は、不況→好況→不況→好況・・・と趨勢的な成長線に沿って(何もしなくとも)サイクルを描く)はもはや受け入れられるものではなくなり、経済はいつまでも(政策的な処置に乗りださなければ)潜在GDP以下の水準に居座り続けることがあると当然視されるようになった。デフレギャップを埋めることが財政金融政策の役割であり、可能な限り失業率を低く抑え資源の有効活用を実現せねばならない。

不況を前にしては座して待つべきではなく、総需要喚起策によって積極的にデフレギャップの縮小に取り組むべきではある。が、果たしてデフレギャップの水準はどれほどのものなのか。実現可能な最小の失業率水準は何パーセントなのか。大不況という悪夢から逃れるためにはそんな問いにかかずらっている暇はない。失業率を低めること。限りなく0%に近い失業率(この場合は4%以下の失業率)を実現すること。失業者の救済という正義を実現するためには(または大不況という不幸を二度と繰り返さないためにも)景気を刺激し続けねばならず、そうすることによって(コストもかけずに)失業率は下がり続けていくことだろう。悪夢から覚めるためには楽観的になる(失業率が低下していっても(4%以下になっても)インフレ率はそれほど上昇しないはずだ←デフレギャップを過大に推計しているとも言える)しかない(Neither economic theory nor economic history gave guidance, so there was a strong tendency to rely on hope and optimism.;人間は自信のない時、希望的観測や楽観的な予測に基づいて行動するものだ)。

Only after the experiences of the 1970s were policymakers persuaded that the minimum sustainable rate of unemployment attainable by macroeconomic policy was relatively high, and that the costs-at least the political costs-of even moderately high one-digit inflation were high as well.

Only after the experiences of the 1970s were policymakers persuaded that the flaws and frictions in American labor markets made it unwise to try to use stimulative macroeconomic policies to push the unemployment rate down to a very low level and to hold it there.

現実に平手打ちされて正気に戻る。フリーランチは存在しない。失業率を限界以上に(自然失業率以下にといってもよい)低めようとすればインフレの加速を伴う。政策によって実現可能な最小の失業率は予想以上に高いものであり(自然失業率は想定していたよりも高い)、インフレ(1桁台のインフレ率でさえも)のコスト(庶民?からの反発など)は思った以上に大きい。(追記)自然失業率の水準自体を引き下げようとするならば、財政金融政策ではなく労働市場の構造改革によらねばならない(政策の割り当てに留意する必要(総需要喚起策の限界を知る必要)がある)。1970年代にインフレの加速という代価を払うことによってアメリカの政策決定者らが気づかされたことである。

大不況の経験が強迫観念となって失業率の抑制が至上命題至上課題となる。現実に大きな犠牲を蒙ることによってしか誤った観念(行き過ぎた考え)の間違いに気づくことはできない。観念なるものの厄介さ(加えて中庸を得ることの難しさ)を改めて思い知らされるものです。しかしながら、DeLongの次の言葉には素直には納得できませんな。

Thus there is a strong sense that something like the inflation of the 1970s was nearly inevitable. Had macroeconomic policy been less stimulative in the 1960s, and had inflation been lower at the end of that decade, there still would have been calls for increasing efforts to reduce unemployment in the 1970s.

もし1960年代のマクロ政策が現実よりも景気刺激的でなかったとしても(1960年代の終わりにおけるインフレ率がヨリ低かったとしても)同じような1970年代を迎えたことだろう。失業率の引き下げを要求する声は鳴り止まず限度を超えた総需要喚起策が採られたに違いない。我々が体験した1970年代は不可避的なものなのである・・・。説得によって観念の誤りをただすことはできない(現実に痛い目見ないと間違いに気づかない)、といってるも同然のような気が・・・(追記;観念の呪縛から逃れることはなかなかに難しいものだということならば納得)。う~ん。

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