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2006年10月 9日 (月)

祝・フェルプス

2006年度のノーベル経済学賞(正式名称は以下略)は「マクロ経済政策の異時点間にわたるトレードオフの分析」に多大なる貢献をなしたE.フェルプス氏に授与されることが決定いたしました。

The Royal Swedish Academy of Sciences has decided to award The Sveriges Riksbank Prize in Economic Sciences in Memory of Alfred Nobel 2006 to

Edmund S. Phelps(Columbia University, NY, USA)

“for his analysis of intertemporal tradeoffs in macroeconomic policy”.

http://nobelprize.org/nobel_prizes/economics/laureates/2006/press.html

オールド・ケインジアンの黄金時代=1950~60年代、フィリップスカーブ(=インフレ率と失業率との安定的なトレードオフの関係)は政府による総需要管理政策(=ファインチューニング)に基づく経済安定化のための後ろ盾として・・・・やめた。私にゃニッチあるいはただ乗りがお似合いです。

まずは海外ブログの反応をご紹介(後日補充予定)。

Marginal Revolution(by Tyler Cowen);

Edmund Phelps -- Today's Nobel Prize in economics http://www.marginalrevolution.com/marginalrevolution/2006/10/nobel.html

Greg Mankiw's Blog (by Gregory Mankiw);

The envelope, please       http://gregmankiw.blogspot.com/2006/10/envelope-please.html

Phelps on Capitalism       http://gregmankiw.blogspot.com/2006/10/phelps-on-capitalism.html

Dynamic Capitalism(by Edmund Phelps;マンキューブログ他で取り上げられているフェルプスのWSJへの寄稿文)          http://www.opinionjournal.com/editorial/feature.html?id=110009068

macroblog(by Dave Altig);

A Nobel Clarification http://macroblog.typepad.com/macroblog/2006/10/a_nobel_clarifi.html

William J. Polley(by William Polley)

Phelps receives Nobel  http://www.williampolley.com/blog/archives/2006/10/#000699

Justice for the entrepreneur  http://www.williampolley.com/blog/archives/2006/10/#000700

EconLog(by Arnold Kling);

Phelps and the Nobel http://econlog.econlib.org/archives/2006/10/phelps_and_the.html

The Austrian Economists(by Peter Boettke);

Nobel for Edmund Phelps http://austrianeconomists.typepad.com/weblog/2006/10/nobel_for_edmun.html

Mises Economics Blog(by Frank Shostak);

Did Phelps Really Explain Stagflation?                http://www.mises.org/story/2351

日本のブログも負けていません(お二人のどちらかが世界一の速さでエントリーしたことはおそらく間違いないと思われる)。

Economics Lovers Live(by tanakahidetomi);

ノーベル経済学賞だよ、全員集合  http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20061009

日々一考(ver2.0)(by econ-econome);

ノーベル経済学賞2006年受賞者                            http://d.hatena.ne.jp/econ-econome/20061009/p2

フェルプスの話題じゃないですけどもノーベル賞ついでに。「彼 or 彼女にはノーベル賞獲っといてもらいたかった」(=「選考委員会がちんたらしてる間にどれだけの該当者がこの世を去ったことか・・・」)。

Cafe Hayek(by Don Boudreaux);

They Should Have Gotten the Prize (Again)http://cafehayek.typepad.com/hayek/2006/10/they_should_hav.html

受賞理由の一つである自然失業率仮説あるいは期待修正フィリップスカーブ(=フィリップスカーブを短期/長期に区別)に関しての詳しい議論は、『経済思想の歴史』の該当箇所および銅鑼先生のご説明を参照のこと。

もう一つの受賞理由、「the desirable rate of capital formation」 across generations(=黄金律)ならびに新技術の普及と経済成長に対する人的資本(human capital)の重要性への早くからの注目、に関してはコールズ研究所のHPにて幾つかの論文が読めると思ふ。

あとフェルプス関連で面白そうな論文を1つ2つほど。

Philippe Aghion, Roman Frydman, Joseph Stiglitz, and Michael Woodford、“Edmund S. Phelps and Modern Macroeconomics(pdf)”

この論文は『Knowledge, Information, and Expectations in Modern Macroeconomics: In Honor of Edmund S. Phelps』に所収されているもの。まだ読んでないんで紹介するのはちょっとばかり気が引けるんですが、

Michael Woodford、“Imperfect Common Knowledge and the Effects of Monetary Policy(pdf)”

も同書に所収。

ダウンロードしたきり未読状態でほったらかしにしていた

Edmund S. Phelps、“For a More Insightful Macroeconomics:What Departures Would be Reguired?(pdf)”(Joseph E. Stiglitz Festschrift: Economics for an Imperfect World -A Conference for Joe Stiglitz's 60th Birthday-

も今回をよい機会として目を通しておくことにしよう。

(追記)自然失業率仮説に関するフェルプスの論文。コーエンが既に紹介してますけども。

Edmund S. Phelps、“The origins and further development of the natural rate of unemployment(pdf)”(in Rod Cross(編)『The Natural Rate Of Unemployment, Reflections On 25 Years Of The Hypothesis

Edmund S. Phelps and Gylfi Zoega、“The Rise and Downward Trend of the Natural Rate(pdf)”

フェルプスの最近の論文はこちらからダウンロード可。

ルーカスの受賞から遅れること10年、フリードマンの受賞からは30年の遅れ。フェルプス先生の長年の苦労に報いるためにも、・・・明日は朝一で図書館に向かおう(Edmund S. Phelps(編著)『Microeconomic Foundations of Employment and Inflation Theory』 を借りてくるのです)。

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2006年10月 2日 (月)

大学は建物ではない

 その東畑博士が草された一文を何気なくよんでいるとき、そこでついに上述の疑問を解消する注目すべきくだりに遭遇した。曰く、シュムペーター文庫の贈呈「式が行われた一橋大学の本館の特別応接室は、昭和6年1月末、厳冬の時に、同大学に講演にきたシュムペーターを迎えて、多くの人が氏を中心として歓談のひとときをもった室でもあって、故教授[シュムペーターのこと]の思い出などが自ら列席者によって語られた。序にいうが、その時に講演の題は『経済学徒の科学的装備』というのであった。あの時の室の寒さはシュムペーターを少しばかりたじろがせたかもしれなかったが、氏はそれを気にしている当時の教授たちに『大学は建物ではない』と云ってのけた。そして例えばイタリアのボロニア大学とかその他の例をひいて、その貧弱な大学の建てもののなかで、いかに見事な研究の成果が挙げられたかを物語った」(「由来記」―“The Catalogue of Prof. Schumpeter Library” 1962)と。
 「大学は建物ではない」という言葉を上記の文脈で読めば、それがシュムペーターをかこむ会合の部屋の寒さに気をつかう人びとへの慰めの言葉であることは明白。ボローニア大学のような襤褸(ぼろ)?!の建物であっても、立派な研究成果があがればそれで十分なので、寒いことなど大学の本質とは無関係ではないかとの暖かい思いやりのこもった励ましの言葉でさえあって、けだし至言である。日本人ならいざ知らず、西欧人で、しかも芸術の都といわれるウィーンで成人したシュムペーターにとっては、一橋大学の建造物の形態にさしたる関心のあろうはずはなく、したがって彼の発言は、東畑博士の文脈によって理解されるのが妥当である。・・・知恵者あって、都心からの都落ちにガックリきている一橋人を励ますべく、シュムペーターもひがむほどの学舎で研究ができるではないかと、彼の発言を意識的に転用したのが伝説の始まりだったのではなかろうか。(三上隆三著『経済の博物誌』 「第1章 伝説の種まく人-シュムペーター」、p14~p16より引用)

引用者注;引用文中にある「伝説」とは、神田一ツ橋の都心部から現在の国立市へと都落ち(?)した一橋大学の新校舎(伊東忠太東大教授の手になるロマネスク様式建築)を見たシュムペーターが、「建造物の美麗さにうたれたあまり、その反動として大学の本質は学問の研鑽にこそあれ建築物にあるのではない」(p11)との意味を込めて「大学は建物ではない」University is not building と口走ったとの言い伝えのこと。三上先生が抱いた「上述の疑問」とは、文中にもあるように「芸術の都といわれるウィーンで成人したシュムペーターにとっては、一橋大学の建造物の形態にさしたる関心のあろうはずはなく」、「ベルサユー宮殿の影もうすくなるような、ハプスブルク王朝の粋をあつめた建造物のたちならぶ首都ウィーンで教育をうけた「教養ある旧派のオーストリアのジェントルマンであり、ハプスブルク末期の貴族社会の雰囲気を終生もった人」(ハーバード大学編『追憶記録』)といわれるシュムペーターにとっては、学舎としての一ロマネスク建造物に魅了されることはないはず」(p12~p13)であり、「伝説」の信憑性は疑わしいということ。シュムペーターが講演をした会場、つまりはその寒さによって「シュムペーターを少しばかりたじろがせたかもしれな」い、ある意味風通しのよい部屋とは兼松講堂 (訂正;一橋大学本館の特別応接室。ご指摘ありがとうございます)のこと。

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2006年10月 1日 (日)

リンク先の新設

どうも、3ヶ月と約10日振りでやんす。ここ最近はハイエキアン(Hayekian)としての修行を積んでおりますhicksian@入院中なわけですが、生存証明ならびにApple100%blog跡地の再開発要請の意思表明を兼ねまして、こうして久方ぶりにエントリーさせていただくこととあいなりました。 閉鎖はんたーい!

さて。これといって新鮮なネタもございませんで、新しくリンクを設置したりなんかして(Googleの検索窓の下)無理やりエントリーの話題を作り上げてみました。リンクの並んでいる順序の間には何ら序列の意味合いは含まれておりませんけれども、あえて言うなら上から下に進むにつれて私個人にとっての価値が高くなる傾向にあります。ヨリ正確には、一番下のリンク先が最も高価値であって、それ以外は私にとって無差別=同価値であるとするべきでしょう。ということで、

カレンダーならびに新曲の売れ行き促進のために是非是非皆々様のご協力をお願いいたします m()m(=「この商品を予約注文する」あるいは「注文する」をクリックするだけです) 。

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