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2005年7月16日 (土)

理論における革命の条件

暑い。あまりに暑くて現実から逃避したくなる。経済学者にとどまらず大学の教授は、象牙の塔に立て篭る浮世離れした存在との見方が世間一般的な評。regularなエコノミストを目指す私も観念の世界に生きる感覚に慣れておかねばならぬだろう。心頭を滅却すれば火もまた涼しと言うではないか。心の持ちようでどんな苦痛にも耐えられるのなら、徹底的に現実逃避・浮世離れしてこの暑さをぶっ飛ばそう。というわけでハリー・ジョンソン著『ケインジアン-マネタリスト論争』を読む。時代錯誤も浮世離れの一つの条件だろう。

付録論文「ケインズ革命とマネタリスト反革命」は、「「知的変革の経済学および社会学」への修学旅行」であり、経済学世界における理論面での革命(反革命)が成就するために必要となる条件(「経済学の発展において革命や反革命を可能とする社会的および知的諸条件」)を皮肉をこめつつ考察している。なぜ『一般理論』が経済学界にあれほど急速に受け入れられ伝播していったかを仔細に眺めることにより、ジョンソンは革命が成就するために新理論が備えるべき5つの特性を挙げる。

1.既成の正統派理論が仮に最善を尽くしたとしても、解決不能であるような社会問題を発見し、学問的に新しく、また説得力をもつ分析方法を採用して旧学説の結論を逆転させることができること:解決不能な問題=(新)古典派にとっての失業、ケインジアンにとってのインフレ

2.新理論は新鮮さを持ちながらも、同時に正統派理論の正しい部分、あるいは少なくとも誤りであることがはっきりしていない部分を、出来るだけ吸収したものでなければならない=古い概念に新しい、かつわかりにくい名称を与えること:ケインジアン(「資本の限界生産性」→「資本の限界効率」、マーシャルのk→「流動性選好」)、マネタリスト(フリードマンによる新貨幣数量説;「流動性選好説を、富の性質や、富と所得との関係のより精巧な分析を基礎として一般化したものにすぎません。」、富→「恒常所得」)

3.適度の難しさを持つこと。年輩の経済学者には難しすぎるが、若い世代にとっては十分に挑戦しやすく、かつ報いのあるものとなる、つまり野心的な若い学者にとっては職業上の新しい機会への道を開くことを許す程度にしか難しくない。

4.才能があり、日和見主義者ではない学者たちに既成理論よりも魅力を持つ新しい方法論を与え得ること:マーシャルの部分均衡分析とヒックス・アレンによる数学的な一般均衡理論の間隙を埋めるものとしての『一般理論』(数学的には従来より高度な能力を要するが、集計的一般均衡体系として複雑すぎない。また、部分均衡分析のように現実の経済問題と深い関連をもつ)

5.計量経済学者たちにとって未知だがやりがいのある仕事―経験的関係の推定―を提供すること:ケインジアンによる消費関数、マネタリストによる貨幣需要関数

理論の内容如何というよりは経済学者集団の心理のあり様に基づいた分析、「学問的動機」ではなく「政治的動機」に着目した分析である。辛らつで冷ややかな観察だが、読後なぜだかジョンソンのことが好きになった。

「正統派の本質とは、偉大な思想家たちの微妙で高度な理論を、一組の簡単な原理や単純明快なスローガンに変えてしまうことによって、平均的頭脳の持ち主たちが自分たちにも十分理解出来、かつその「理論」の助けをかりて経済学者としてやっていけると考えるようにすることにあります。」(p145)、「ケインズ自身は・・・経済の歴史の流れもよく知っており、また経済理論は一定の限られた歴史的環境の下での政策立案に付随したものとして役立つにすぎないこともよく承知していました。ケインズの信奉者たち・・・は、ケインズが歴史的背景を考慮して行なった分析を、時間や空間に制約されない一組の普遍原理に作り変えてしまいましたが・・・」(p153)。Hicksianと名乗る私も心に深く止めておかねばならぬ戒めである。

ところでジョンソンは「清算主義」的心性についても言及している。1930年代の大恐慌期、「他の経済学者は、大不況をもって、企業や個人が過去におかした投機や、その他の誤った経済行為という罪悪に対して天から下された正当な罰であると見なしました。このようにミクロ的要因に注意を集中させたため、かえって当時すでに手のとどくところに存在したマクロ的分析の重要性を見落としてしまったのです。この誤りによって不況への政策提言にしても、一般性をもった確かな理論的裏づけのないものとなり、ある種の公共事業といった、その場かぎりの思いつき的なものになってしまいました。」(p146~147)。清算主義的心性というのは「時間や空間に制約されない」もののようですね。

この本をどこで購入したかは忘れたが、店先の100円コーナーに置いてあったことだけは憶えている。丁寧にも本の裏表紙に当時の書評が貼り付けてある。

日経新聞1980年(昭和55年)3月9日日曜日。評者は野口悠紀雄氏。肩書きは一橋大学助教授。「なお、ケインズ的政策は現実にはあまり実行されず、したがって戦後の経済的繁栄はそれとは無関係という主張は、わが国でも妥当する。したがって、ケインズ理論への批判がその成功から生じたとする一部のケインジアンの主張は、全く的外れである。」

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2005年7月 5日 (火)

流行に抗えず

手元にある英和辞典でirregularの意味を調べてみると....

  不規則な,だらしない,むらのある,規格はずれの,

等々と記載してある。

日記を書くのは小学生以来だ。それも宿題として強制されていたもの。生来怠惰なわたくしの性格からいって記事の投稿がirregularになることは間違いない。                  

だらだら意味のないことを書き綴り、それはそれはだらしない、irregularなブログとなることだろう。

規格はずれの、irregularなeconomistであるという自負のもと、アメリカ発の主流派経済学(新古典派経済学)の非現実性を糾弾したい。そうだ私は反経済学者なのだ。

と、並々ならぬ使命感に燃えていたのももはやとうの昔。現在は、若干丸くなりましてregular economistに一歩でも近づけるようにと日々精進しております。今ではirregular=未熟・欠陥のあるという意味に読み替えまして、自戒の念を込めて、驕りたかぶることがなきようirregular economistと名乗ることにいたしました。

雑感、読書の感想、愚痴、妬みつらみ、希望的観測etcとにかく思いついたことを書き連ね、irregular economistがいかにしてregular economistへと成長していくことができるのか(はたまた挫折してしまうのか)、その過程を記録していけたらと考えています。

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