2007年10月21日 (日)

お引越し

この度はてなにお引越しをさせていただきました。

http://d.hatena.ne.jp/Hicksian/

一応こちらもこのまま残しておく予定ですが、更新するとすればはてな日記のみとなることでしょう。3つ、もとい2つのブログを掛け持ちするほどネタもございませんので。

とりあえず、

ココログさん、長い間お世話になりましたm()m

(追記)

引っ越し=更新再開、というわけでは必ずしもございません。変な期待は禁物です。まあ、誰も待っちゃいないでしょうけど。

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2007年1月30日 (火)

しばらく(?)休業

しばらく休業(日々一考)                      http://d.hatena.ne.jp/econ-econome/20070129

いやはや、春先までしばらく寂しい日々が続きそうです。

奇遇にも(?)私もここ最近急激に忙しくなってまいりまして、ブログをお休みさせていただこうかと考えていたところでした。まあ、普段から開店休業状態だったわけですが。休業なのかはたまた廃業なのか、現時点では何とも言えませんけれども、ひとまずこれまで長い間お付き合いいただきましてどうもありがとうございました。再びお会いする機会がございましたらその時は是非ともregular economistとしての立場から雑文を書き散らさせていただきたいものであります。だらだらとつまらぬ文章を書き連ねても仕方ありませんので、

それではみなさまごきげんよう

そうそう。昨日レギュラー先生からメールをいただきました。

ブログ始めたから。そこのところよろしく。

レギュラーの入院日誌                   http://blog.goo.ne.jp/regular_2007/

レギュラーより                 

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2007年1月26日 (金)

フリードマンの日

1月29日はフリードマンの日(Econbrowser経由)。

Milton Friedman Day                                                  http://www.miltonfriedmanday.org/

単なる報告でございます。深い意味はございません。

ただ何となく祭りの気配が漂ってくるわけです。何かを始める(再開する?)またとない機会のような気がするんです。何となく。

続編書くなどもってのほかじゃ!!

どうぞよろしくお願いします m()m。

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2007年1月 4日 (木)

貨幣数量説の祖

前ブログからのエントリーの移行作業がまだ終わってませんでした。このエントリー以外にも幾つか移行待ちの記事がありますけども、・・・気が向いたらアップしたいと思いまふ。なお誠に勝手ながらFellow Travelerさんから頂戴しました本エントリーへのコメントの一部(だけしか残っておりませんで)を復元させていただきました。了解もなしに申し訳ございません(ご紹介いただいたBerdell論文は入院後すぐ、つまりはまだ体調が良好(?)であった頃に読ませていただきました。Wennerlind論文はつい最近、というか今さっき読みました。両論文の内容を要約したエントリーを書きたいところですけども・・・)。

貨幣数量説の祖といえばデイビッド・ヒューム(David Hume)。これまで二度にわたって取り上げた(これこれ)DeLongの記事でもFirst Monetarist、pre-Keynesian business cycle theoristとして名前が挙げられている(正確には貨幣数量説を経済分析に明示的な形で導入したアービング・フィッシャーがFirst Monetarismの創始とされているけれども)。

素朴な貨幣数量説論者(追記;素朴な貨幣数量説と単なる貨幣数量説の違い=短期(=貨幣供給量が実体経済に影響を与えうる期間)に重きをおくかどうかの違いとしておきます(勝手ながら)。両者ともに長期的には貨幣供給量の増加は(比例的な)物価上昇を招くという点では一致するものの、素朴な貨幣数量説論者は比較的速やかに長期の状態が到来する(=短期は無視しうるほどの長さであり、そのため貨幣供給量の変化が実体経済に与える影響も小さい)と考える傾向にある)としてのFirst Monetarist、pre-Keynesian business cycle theoristによれば、貨幣供給量の増加は実体経済(実質GDPとか雇用量・失業率など)にはなんらの影響も及ぼすことはなく、貨幣量の増加に比例するかたちで物価が上昇するだけである(貨幣量が2倍になれば物価が2倍になるだけ=貨幣の中立性)、とのこと。フリードマンによればこの見方(First Monetarist=素朴な貨幣数量説の信奉者)はロビンズやシュンペーターやらの曲解(あるいは単純化)によって生み出された虚像であるらしい。フィッシャーが素朴な貨幣数量説論者でないことは確かである(Pavanelli論文参照)。じゃあヒュームはどうなんだろう、ってことで(フリードマンの発言の真偽を確かめるためにも)『市民の国について(下)』(「貨幣について」、p51~p70)を読んでみました。

実を言うと、貨幣は商品流通において主題の一つとなり得るものではなく、財貨の交換においてそれを円滑にするために人々が互いに同意し合っている交換用具(instruments)に過ぎません。商品流通を車にたとえるならば、貨幣はその両輪の一つなどでは決してありません。そうではなく、それら両輪の回転をより円滑にするための潤滑油のようなものです。・・・誰の目にも明らかなように、その国の所有する貨幣量の多少は全くなんの意味も持ちません。というのは、物価はつねにその国の貨幣量に比例するのであり、・・・(p51)

冒頭からいきなり素朴な貨幣数量説丸出しじゃないかい。フリードマンの嘘つきめ(怒。

貨幣は労働と財貨との表示物(representation)以外のなにものでもなく、労働と財貨との評価もしくは勘定(rating or estimating)の手段として役立つに過ぎません。もしその国に従来よりもより多量の貨幣が存在するようになれば、同じ量の財(goods)を表示するのにより多量の貨幣が必要になるというだけのことです。ですから、その国家だけに限定して問題を考えるならば、貨幣量の増大が善悪いずれであろうと、なんらかの結果をもたらすということは皆無です。それはちょうど、僅かの記号で済ますことのできるアラビア記法の代わりにきわめて多数の記号の必要なローマ記法を用いても、その商人の帳簿に何の変化も起こらぬのと同じことです。(p56)

疑いは深まるばかり。フリードマンの言うことなんか二度と聞くもんか(怒。

一つ確かなことは、アメリカにおける鉱山の発見以来、それらの鉱山を保有している国々を除けばヨーロッパのすべての国々において生産活動が上昇してきているという事実です。そして、この事実を正しく説明し得る理由はなんといっても金銀の増大ということであろうと思います。(p56)

ん?

われわれの気づくことは、いかなる国であれ、その国へ貨幣が従来よりもはるかに大量に流入し始めると、事態は一変し、労働と生産活動とは活気を帯び、商品流通者(the merchant)はさらに企業的精神に富むようになり(enterprising)、工業生産者(the manufacturer)はさらに生産への熱意を燃やす(diligent)とともにその技術をさらに高めるようになってゆくということ、それどころか、農業生産者(the farmer)までがその鋤をますます素早くしかも注意深く操ってゆくようになるということです。もしわれわれが貨幣の増大がもたらす影響は物価を上昇させるということだけである、いいかえると、各人にその買い求めるものすべてに対しより多数の黄色ないしは白色の金属片を支払わせることになるだけである、とするのでしたら、今述べた〔社会過程〕の説明は容易ではありません。(p57)

んんんん?

物価の高騰が金銀貨の増大のもたらす必然の結果であるとはいえ、そのような高騰は金銀貨の量が増大したとたんに始まるというのではなく、増えた貨幣が国内隈なく流通してゆきその影響があらゆる階級(ranks)のひとびとに感得されるようになるには若干の時間がかかるということです。最初のうちはなんの変化も認められません。徐々に物価が、まずこの財貨、ついであの財貨、という具合に上昇してゆきます。そしてついに物価全体が、その国に存在する新たな貨幣量と正しく比例するようになります。わたくしの見解では、金銀貨の保有量の増大がその国の生産活動に有益な影響を与えるのは貨幣の取得と物価の上昇との間のこの〔ズレの〕期間、つまり、そのような過渡的状態のときだけに限られます。(p57~58)

流入してきた貨幣は、労働の価格を引き上げるに先立ち、先ず、すべての私人の生産意欲(diligence)を必然的に高める、ということでしょう。また、貨幣(the species)〔の増大〕が労働の価格の高騰という結果をもたらすまでにその量をかなりの程度まで増大させ得るということも・・・(p59)。

その国の貨幣保有量が変動するとき、増減いずれの場合でも、直ちにそれに比例しつつ物価もまた変動するということにならぬという事情・・・。事態が新しい状況に応ずるにはつねに一定の間(interval)が介在しなければなりません。(p60)

ヨッ、さすがフリードマン様。私も実はそうじゃないかと思ってたんですよ。ちゃんと最後まで読めって話ですよね。貨幣供給量の増加が(それに比例する)物価上昇を引き起こすまでには一定の間があるんですよね。金融政策(あるいは貨幣供給量の増加)は有効なんですよね、一定の間は(一定の間の推移(つまりは貨幣供給量の増加が景気を刺激する様子)についてのヒュームの説明はp57~60を参照のこと)。

さらに、ヒュームは貨幣供給量の変化が短期的のみならず長期的にも実体経済に影響を及ぼし続ける(=あるは短期的な状態(=一定の間)がかなり長い間持続する)可能性についても言及している。

その国に存在する貨幣の量の多少はその国の国内的な幸福にかんしてはいかなる意味でも重要性を持たぬということです。為政者のとるべき政策はただ一つ、もし可能であれば貨幣を漸増の状態に保つということだけです。というのは、貨幣を漸増の状態に保つならばそれにより、国内における生産への熱意(a spirit of industry)をいやましに高め、いっさいの真の兵力といっさいの真の富とがそれから成り立つあの労働の蓄積量を増大させることになるからです。(p59~60)

金銀貨の量の多寡それ自体は全くどうでもよい事柄です。金銀貨の存在量にかんし、もしなんらかの重要性を持つ事情があるとすれば、それは次の二つの事情だけです。すなわち、その漸増と国の隅々までの偏在および流通とだけです。(p69~70)

「現在の」貨幣量の多寡は問題ではない。(追記;この記述は長期的にも貨幣供給量の増減が実体経済に影響を与え得るとヒュームが考えていたことを示しているんじゃなかろうか?;Fellow Travelerさん、貴重な情報を提供していただきまして誠にありがとうございました)。貨幣量を漸増させることにより、(各種の価格調整が遅れることによって)物価上昇を伴いつつも(=貨幣供給量の増加の影響がすべて吸収されるほどには物価は上昇しない)実体経済を刺激し続けることは可能である・・・。

ここで久々にヒックスの登場(誰も待ってないですかそうですか)。ヒックスは『経済学の思考法』(「第3章 貨幣的な経験と貨幣理論」)において、「貨幣について(of Money)」で展開されたヒュームの議論を簡単にモデル化(というほど大それたものでもないが)したうえで(=古典的数量説のモデルと名付けている)、そこから導き出しうる帰結に関しあれこれ論じている(貨幣供給の増加がなぜ(即座の)物価上昇によって相殺されないのか(貨幣供給量の増加がなぜ実体経済にポジティブなインパクトを与えうるのか)という点を解明するというよりは、そのことを前提した上で貨幣供給の増加がどのような名目所得(物価×実質所得)の変化を生み出すかを考察したものである)。

数量説-今日において死に絶えたわけではない-のもっとも素朴な形は、物価水準を貨幣量に依存させる。しかし、ヒュームが(かつて)与えた形をとるとしても、古典的数量説はこのように素朴ではない。ヒュームは、貨幣供給量の増加の最初の効果が産業を刺激することに気がついていた。「それは、賃金を引き上げる前にすべての人々の勤勉さを刺激するに違いない」。したがって、価格に対する効果と同じく産出量に対する効果も考慮に入れなければならない。両者を同時に考慮するならば、貨幣供給量(M)に依存するとみられるのは、産出量(以下PQと書く)の全価値である。(『経済学の思考法』(以下の引用はこの本から)、p67)

ヒックスは交換方程式MV=PQにおいて流通速度Vが不変(=一定)である場合と可変である場合を分けて議論を展開する(この議論においては貨幣供給は完全に外生的である。毎期mだけの貨幣が外部から注入されると考える(貨幣=金属貨幣のみと想定し、新しい供給源の開発により毎期mだけの(貨幣用の)金銀が産出される)。貨幣は銀生産者(=貨幣供給者と考えてもよい)の手元に入った後、一期間の遅れを伴って(非貨幣的商品に対する貨幣的な需要として)商品供給者に(商品と交換に)手渡されることになる。商品供給者は収入の増加をうけて支出を増加させる。以下続く)。

1.流通速度が不変である場合

金融制度が未発達であるため資金の貸借が不可能(あるいは非常に困難)であり、そのため過去の貯蓄とその期間内に受け取った収入の範囲内に支出は制限される。この仮定の下で、その期に手元に入る貨幣が一期間の遅れを伴ってすべて支出される(よって第2期に2mの所得(需要は銀生産者の需要m)が、第3期に3mの所得(需要は銀生産者の需要m+商品供給者Aの商品Bに対する需要mの計2m)が発生することになる)と考えてはじめて流通速度が一定となる。この時貨幣Mの増加はPQの比例的な増加を帰結することになる。              

2.流通速度が可変である場合

金融制度が未発達であるために借入機会が欠如しているならば、「不時の出費に備えて準備を保有する利点が非常に大きいため、貯蓄を好む、あるいは支出抑制への偏りが予想される」(p68)。受け取った貨幣をすべて支出すると考えるのは現実的ではない。受けとられた貨幣がすべて手渡されるのではなく、消費性向cだけが手渡され残りは貯蓄されると考えるならば、第5期においては貨幣残高は総計5m増加するけれども、第5期に発生する所得はm(1+c+c^2+c^3+c^4)以下となり5mよりは小さくなる。流通速度は貨幣保蔵の傾向が高まるほど(=cが小さくなるほど)小さくなってゆく。この場合においては(時間が経つにつれて)貨幣が無限に増加しても発生した所得は無限には増加しない(=所得PQに上限が存在する;無限等比級数の和ですんで)。 

借入れと貸し出しが可能であると仮定すると(金融制度がある程度発展し、(銀行制度が整備されるとまではいかなくとも)資本市場へのアクセスが可能となったとすれば)以上の議論はどのような変容を被ることになるだろうか。受け取りを超える支出が過去の貯蓄によってのみ調達されるということではなく、他者からの借入れによっても調達されうるようになったとすればどうなるだろうか。

貸手は、彼が手渡した貨幣の代わりに借手の返済の約束を受けとるので(この約束は貨幣の「保蔵」がそうであるようには不時の支出には直接使えないので)、彼が放棄した流動性を償うために、利子の支払いを要求するであろう(どの程度の流動性を放棄するかは、一部は貸出しの条件に依存し、もう一部はその請求権を他人に売却しうる便宜の程度にも依存する。すなわち、資本市場の発展の程度に依存する)。(p72)

利子は流動性放棄の代価である。貸借期間が長期になるほど借手が請求される利子は高くなる(=貸手の流動性の欠如状態が長期化するため)。設定される利子率の水準は借手の信用や純資産ないしは担保となりうる資産の保有状態にも依存するだろう(=返済可能性が高いほど(あるいは流動性の欠如状態が将来的に回復される可能性が高いほど)利子率は低くなる)。流動性の状態に対して楽観的であるならば利子率は低位安定するだろうし、悲観的な場合にはどれだけ高い利子率支払いを約束されても貨幣の貸出しには躊躇するかもしれない。

資金貸借の機会が開かれるや貨幣供給の増加は単線的な所得増加ではなく(1のように)、循環的な所得変化を生み出すことになる。

新貨幣の生産者も、新貨幣で支払われた生産物の生産者も、その所得が増加するとは単純にいえない。同時に彼らの信用状態は改善され、借り入れることが容易になるであろう。少なくとも彼らの一部は、借り入れることを望み、われわれの第一のモデルよりも支出はさらに急速に拡大するであろう(引用者:最後の一文に(注)が付されています(以下注の内容);当初の拡張が単なる物価の上昇ではなく、実物的な拡張であるというヒュームの主張を念頭におくと、通常の「加速度」原理に従って投資増加への需要が生ずると予想することは不合理ではない)。(p72)

保有する貨幣量の増加→信用状態の改善→要求される利子率の低下あるいは貸出量の増加により、支出は1の場合(つまりは収入=支出の場合)を超えて拡大する(=貨幣量の増加に比例する以上に所得が増加する)。しかし、支出の増加傾向もいつまでも続きはしない。貸手はすべての貨幣を貯蓄するわけではなく(自らの支出のために幾許かの貨幣が必要である)、また保蔵された貨幣すべてを貸し付けるわけでもない(幾許かの流動性を保持しようと努めるはずであるから)。支出の拡大傾向が進行するにつれ、借り入れ可能な貨幣の絶対量は減少し(自らの流動性を維持するために貸出しに応じる人が少なくなってゆく)、要求される利子率も高まってゆく(=流動性放棄の代価が高まる)。高まる利子率は資金借り入れを抑制し支出を減少させていくことだろう。

また、貨幣を遊休させておくだけでは利子を返済することはできないので、高い利子率で資金を調達した借手はハイリターンを求めて少々疑わしい事業にも乗り出さざるを得なくなる。無謀な挑戦に乗り出す企業の様子を見て(中には債務を返済しきれずに倒産する借手も発生することだろう)、貸手は資金返済の圧力を強め、どれだけ高い利子率を提示されてももはや貨幣の貸出しには応じなくなる(あまりにリスクが高過ぎるためでもあるし、貸手自身の流動性の欠如がはなはだしいためでもある)。また、経済が拡大するにつれてコスト(賃金や仕入れ品の価格等)も上昇してゆくことから(当初の高い水準にあった)利潤も徐々に圧縮される。高い利子を返済するには物足りない水準まで利潤は縮小してゆくことだろう(=資金借り入れの抑制傾向を生む)。多くの負債を抱える借手は負債圧縮のために新規投資をさけて貨幣保蔵を選好する(=負債の返済を優先する)ことになる。単に支出が減少するというにはとどまらず(1の状態に落ち着いてゆくというわけではなく)、急激な支出の落ち込みを招く(1の状態以下に支出を押さえ込み、2の状態に近づく)ことになるかもしれない。

もし拡大が急速であるならば、上限との衝突も急激であり、危機が生ずる。この危機は、以前になされた貸付の流動性が疑問視されることから生ずる。貸付を行なった貸手は、その資本が減価するのに気づき、貸出しを増加させることに消極的になると同時に、資本のうち貨幣の形で保有する部分を増加させようとする。その結果、支出は急激に減少し、しばらくの間、システムは以前に議論したような「貯蓄超過」の状況に陥る。・・・以前の好況期になされた貸付のすべてが突然無価値になるという非常に極端な場合を考えてみよう。この場合においても(変わることのない)金属貨幣の供給があり、金属貨幣のすべてが、保蔵しようとしている人々の手元にあると仮定することは無理である。したがって、低い水準であるとはいえ、支出は継続する。好況の恩恵を受けない経済部門がかなりあり、衝撃があまり極端でない場合には、下限はそんなに低くはないであろう。新しい借手と新しい貸手がやがて出現し、回復が生ずるであろう(p73~74)

資金貸借の可能性が存在する経済において貨幣が漸増するとき(この場合貨幣供給が毎期mだけ増加している)、当該経済は均衡経路(=1の状態)をめぐる循環を示すことになる。流動性の状態に不安を覚えさせるほどの景気拡大(M上昇に比してのPQの急激な上昇)はやがて貨幣保蔵の傾向を生むことによって経済を均衡経路以下に落とし込み、2の状態(あるいはそれ以下)に近づいてゆく。漸増する貨幣供給によって流動性の状態が回復するにつれ、支出水準は徐々に高まってゆき、経済は均衡経路に向かって(あるいはそれを超えて)拡大してゆくことになる。

少なくとも二つ理由によってこの「循環」を跡づけることには意味があると考える。一方では、(我々が前提したように)銀行貨幣や他の紙幣がないときにも、景気変動-貨幣的変動-の可能性があることを示している。変動のための条件は、銀行業の存在ではなくして、資本市場の存在である。もう一つの理由は、この説明が貨幣数量説自身に新しい外観を与えることである。このような経済において可能な変動は、・・・均衡経路をめぐる変動である。貯蓄超過も負の貯蓄超過もない経路に沿って形成される所得は貨幣供給と比例的であると仮定するのは正当である。なぜならばこの経路に沿うときには、保蔵も負の保蔵もなく、貨幣は単に正常な仕方で循環しているだけである。しかし、経済はこの経路にはりついているとは限らない。この経路から乖離する範囲が制約されているに過ぎないのである。(p74)

ヒュームによれば貨幣供給量の漸増は一方向的な景気拡大を引き起こす可能性があるとのことであった。また、素朴な貨幣数量説論者(だけではなく貨幣数量説論者も)は貨幣供給の増加は長期的にはそれに比例する物価の上昇を招くだけであると説く。安定的に漸増する貨幣供給は均衡経路をめぐる循環を生む、というヒックスの議論は(経済は一方向的な拡大ではなく循環する動きを示すと主張することで)ヒュームの議論に一定の留保を表明し、また(均衡経路(Mの増加がPQの比例的な上昇を生む)についてしか語っていないということを明らかにすることで)素朴な貨幣数量説論者のあまりに単純な見方への抵抗を示すことによって、(古典的)貨幣数量説に「新たな外観」を与えんとする試みであると見なし得るであろう。(二つの貨幣数量説を同時にその中に含み込んでいるといえなくもないので)eclecticなヒックスの面目躍如といったところだろうか。

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2006年12月12日 (火)

相容れない師弟

銅鑼先生、すいません。約束破って読んできちゃいました<週刊エコノミスト掲載のフリードマン追悼文。

フリードマンとガルブレイス。両者ともに経済学の巨人ですね。ガルブレイスは見ての通り(身長が2mを超える)巨人ですし、フリードマンに関してはどうやら我々(どこまでが「我々」に含まれるかは知りませんが)はフリードマンという「巨人の肩に乗っている」そうですからフリードマンも巨人ということになるようです。どうでもいい前置きはこれくらいにして早速記事の内容に関してあれこれ感想を書き連ねたいと思うわけですが、その前に一つだけ確認しておきたいことがあります。どうして伊東(光晴)先生は熊なんとかって呼ばれるようになったのでしょうか? 熊、くま、ベアー・・・、わからない。伊東先生が熊なんとかって呼ばれてらっしゃるのは有名な話なんでしょうか? 

冗談抜きに2、3分は迷いましたよ。あのまま伊東先生の文章だけ読んで帰ってたらギリギリのところで約束守ったことになったんですがね。気付いちゃったからしょうがない。約束破りの代償に息苦しい昼下がりを過ごさせていただきましたよ。鼻にちり紙詰めて自転車乗ったのって何年振りだろうな~。

前置きは本当にこれくらいにして、熊なんとかさんへの反論というかなんというかそんな感じのことをば。っていっても私が反論するわけではありません。日銀のお師匠であるらしいフリードマン先生から直々に反論をいただくことにしましょう。

Milton Friedman、“Rx for Japan: Back to the Future”Wall Street Journal, December 17, 1997)       http://www.geocities.com/ecocorner/intelarea/mf3.html

私が中学・高校でお勉強してきた英語が実は英語に似た架空の言語だったのでなければ弟子への叱責から文章が始まっているはずです。

A decade of inept monetary policy by the Bank of Japan deserves much of the blame for the current parlous state of the Japanese economy.

10年間にわたる日本銀行の稚拙なinept)金融政策こそが日本経済の苦境の原因である、と仰っているはずです。もしかしたら今流行のツンデレ(何か違うような気が。ま、いいか)かもしれませんので(最初にムチをうっておいてから最後に優しい言葉をかけて抱擁してやるのがフリードマンの教授法かもしれませんので)、結論を急がずに最後までお話を伺うことにしましょう。

That decade followed a period of excellent monetary policy. In 1973, the Bank of Japan reacted to an accelerating rise in inflation by bringing monetary growth down to nearly 10 percent a year from over 25 percent in the course of less than two years. It also announced an explicit policy of controlling monetary growth.

・・・Monetary growth continued to decline unevenly for nearly another decade and then stabilized. Inflation followed suit, falling to less than 3 percent annually for years on end. After a brief recession in 1974, real growth resumed at a respectable and fairly steady rate, averaging nearly 4 percent a year from 1977 to 1987. Those were the golden years.

お褒めの言葉です。1970年代半ば~1980年代半ばにかけての日銀による適切な金融政策運営によって「the golden years」が到来したと褒めてらっしゃいます。やはりフリードマンはツンデレ(?)だったのでしょうか?

The resulting acceleration in monetary growth led to higher inflation and, initially, to higher real growth. The most notable result was the "bubble economy," an explosion in the prices of land, stocks, and other assets; the Nikkei stock index more than doubled in three years.

The Bank of Japan reacted belatedly in 1990, reducing monetary growth from 13 percent to less than 3 percent in the first year of the new policy and to negative rates in the second--too much of a good thing. Tight money was spectacularly effective; the stock market, and also nominal income growth, plunged. Low inflation turned into actual deflation by 1994. Monetary growth has recovered since but remains at the lowest level of the postwar period.

ルーブル合意によるドル買いの過程でマネーサプライ(M2+CD)成長率が加速し、高い実質経済成長率と資産価格の急上昇によって特徴付けられるバブル経済が到来。1990年に遅すぎるbelatedly)金融引締めが行われ、92年にはマネーサプライ成長率が(91年の13%から)マイナスを記録。その後1994年にGDPデフレーター上昇率がマイナスを記録し、マネーサプライ成長率は一時に比べれば上昇したものの戦後最低水準にとどまっている。・・・多分褒めてはいないと思います。

The surest road to a healthy economic recovery is to increase the rate of monetary growth, to shift from tight money to easier money, to a rate of monetary growth closer to that which prevailed in the golden 1980s but without again overdoing it.

・・・Defenders of the Bank of Japan will say, "How? The bank has already cut its discount rate to 0.5 percent. What more can it do to increase the quantity of money?"

The answer is straightforward: The Bank of Japan can buy government bonds on the open market, paying for them with either currency or deposits at the Bank of Japan, what economists call high-powered money. Most of the proceeds will end up in commercial banks, adding to their reserves and enabling them to expand their liabilities by loans and open market purchases. But whether they do so or not, the money supply will increase.

There is no limit to the extent to which the Bank of Japan can increase the money supply if it wishes to do so. Higher monetary growth will have the same effect as always. After a year or so, the economy will expand more rapidly; output will grow, and after another delay, inflation will increase moderately.

熊なんとかさんの文章を読んだ印象では、金融政策は不況克服のための手段としては無効とまでは言わないまでも限定的なものである、あるいは金融政策を金融当局の裁量に任せると金融緩和が行き過ぎて高インフレを招いてしまう(あるいはインフレ懸念(=インフレ期待の高まり)を生み出して緩和効果が抑制される)というのがフリードマンの政策思想であるかのように感ぜられましたが、フリードマン先生ご自身のお話を伺っているとどうやら違うようです。“without again overdoing it.”と金融緩和の(再度の)行き過ぎに注意を与えてはいるものの、デフレあるいは不況下での金融緩和政策に否定的どころか、デフレ克服への強い意志と金融緩和政策の効果に対する高い信頼が語られている、・・・ように感じるのは私だけでしょうか?

Initially, higher monetary growth would reduce short-term interest rates even further. As the economy revives, however, interest rates would start to rise. That is the standard pattern and explains why it is so misleading to judge monetary policy by interest rates. Low interest rates are generally a sign that money has been tight, as in Japan; high interest rates, that money has been easy.

名目金利の水準によって金融が緩和しているか引き締められているかを判断すべきではないと。名目金利が低いのは金融がこれまで引締め気味であったためであって、また名目金利が高いのは金融がこれまで緩和気味であったからであると。(私も?)権威を笠にきさせていただきますとヴィクセルも同じことを言っています。「無担保コールレートは実質ゼロ%だ。十分金融緩和している。否、緩和し過ぎなくらいだ」なんて発言はあまり胸張って言うべきものではないかもしれませんね。だって、ゼロ金利であるということは金融緩和が遅れた証(=金融政策の失敗の証)であるかもしれないんですから。

Japan's recent experience of three years of near zero economic growth is an eerie, if less dramatic, replay of the great contraction in the United States. The Fed permitted the quantity of money to decline by one-third from 1929 to 1933, just as the Bank of Japan permitted monetary growth to be low or negative in recent years. The monetary collapse was far greater in the United States than in Japan, which is why the economic collapse was far more severe. The United States revived when monetary growth resumed, as Japan will.

熊なんとかさんの記事でもフリードマンの大恐慌研究については触れられていたと思いますが、はて?

The Fed pointed to low interest rates as evidence that it was following an easy money policy and never mentioned the quantity of money. The governor of the Bank of Japan, in a speech on June 27, 1997, referred to the "drastic monetary measures" that the bank took in 1995 as evidence of "the easy stance of monetary policy." He too did not mention the quantity of money. Judged by the discount rate, which was reduced from 1.75 percent to 0.5 percent, the measures were drastic. Judged by monetary growth, they were too little too late, raising monetary growth from 1.5 percent a year in the prior three and a half years to only 3.25 percent in the next two and a half.

あ、「ゼロ金利=金融緩和の証」発言見っけ。

After the U.S. experience during the Great Depression, and after inflation and rising interest rates in the 1970s and disinflation and falling interest rates in the 1980s, I thought the fallacy of identifying tight money with high interest rates and easy money with low interest rates was dead. Apparently, old fallacies never die.

“old fallacies never die”ですって。「高金利=金融引締めの証」(「低金利=金融緩和の証」)という古びた誤謬は極東の地・日本でまだ生きていた! フリードマン先生、さぞかし驚かれたか、あるいは落胆なさったことでしょう。それにしても最後まで読む必要なかったかもしれませんね。

さて、フリードマン先生による手取り足取りのレッスン(step-by-step instructions)の結果ですけども(レッスンから約3年後).......

(1)日本銀行は、本日、政策委員会・金融政策決定会合において、金融市場調節方針を以下のとおりとすることを決定した(賛成多数)。

無担保コールレート(オーバーナイト物)を、平均的にみて0.25%前後で推移するよう促す。

(2)日本銀行は、昨年2月、先行きデフレ圧力が高まる可能性に対処し、景気の悪化に歯止めをかけるためのぎりぎりの措置として、内外に例のない「ゼロ金利政策」を導入した。その後、デフレ懸念の払拭が展望できるような情勢となるまで「ゼロ金利政策」を継続するとの方針のもとで、この姿勢を維持してきた。

(3)その後1年半が経過し、日本経済は、マクロ経済政策からの支援に加え、世界景気の回復、金融システム不安の後退、情報通信分野での技術革新の進展などを背景に、大きく改善した。現在では、景気は回復傾向が明確になってきており、今後も設備投資を中心に緩やかな回復が続く可能性が高い。そうした情勢のもとで、需要の弱さに由来する物価低下圧力は大きく後退した。

このため、日本経済は、かねてより「ゼロ金利政策」解除の条件としてきた「デフレ懸念の払拭が展望できるような情勢」に至ったものと考えられる。

(4)この間、7月央以降は、いわゆる「そごう問題」の影響にも注目してきたが、これまでのところ、この問題を契機として、金融システムに対する懸念が広まったり、市場心理が大きく悪化するといった事態はみられていない。

(5)今回の措置は、経済の改善に応じて金融緩和の程度を微調整する措置であり、長い目でみて経済の持続的な発展に資するという観点から行うものである。

今回の措置実施後も、コールレートは0.25%というきわめて低い水準にあり、金融が大幅に緩和された状態は維持される。日本銀行としては、物価の安定を確保するもとで、適切かつ機動的な金融政策運営を継続することにより、景気回復を支援していく方針である。

                                                                                         以 上

金融市場調節方針の変更について  (日本銀行、2000年 8月11日)

・・・・・・・・・・OTZ。

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2006年11月20日 (月)

We are all Friedmanians now.

Robert J. Barro、“Milton Friedman: Perspectives, Particularly on Monetary Policy(pdf)”(Federal Reserve Policy in the Face of Crises(Cato Institute 24th Annual Monetary Conference),November 16, 2006)

金融政策の話題に絞って要点を箇条書きにしてまとめておきます。

・1930年代の大不況の原因について

大不況は市場経済の機能不全が発現した結果(=市場の失敗)であり、市場が正常な機能を回復するためには積極的な政府介入が必要である(ケインズ) vs 大不況は政府の失敗、特にFRBによる金融政策の失敗の結果である(フリードマン)→「小さな政府+ルールに基づく金融政策」

・money→real economy

歴史的に見て、貨幣量(マネーサプライ)は貨幣需要のシフトから独立であって、名目貨幣量と経済活動(実体経済)との間における正の相関関係は貨幣量から経済活動への因果関係(貨幣量の増加→名目(あるいは実質)GDPの増加)を反映している(『A Monetary History of the United States』

・アンチケインジアン?

1960年代、アンチケインジアンと見做されるフリードマン。マクロ経済の撹乱要因として貨幣的要因を重視したため→景気安定化手段として金融政策の役割を重視する1980年代以降のニューケインジアン=20年後の和解?

・“The Role of Monetary Policy”

貨幣量と物価水準の予想外の変化だけが実体経済に影響を持ちうる(ルーカスによる合理的期待革命を準備)。しかしながら、システマチックな金融政策であっても名目価格や名目賃金が硬直的である短期においては実体経済に影響を与えることができる。

However, Milton’s monetary framework implied a potentially important role for activist monetary policy in smoothing out the business cycle. Systematic monetary changes had substantial short-term real effects, and wise interventions could improve the functioning of the macro economy. Implicitly, the private market was working badly, beset by sticky prices and wages in the short run, and the monetary authority could help by stimulating the economy in recessions and cooling things down in booms. No wonder that this part of Milton’s monetary ideas would be embraced by Keynesians in the 1980s.

・long and variable lags&rules versus discretion

短期的には(あらかじめ予想されたものであっても)金融政策の変化は実体経済に影響を及ぼすことができる。しかし、金融政策の効果が表れるまでには多少時間がかかり、また効果が表れるまでにどのくらいの時間がかかるかについてあらかじめ正確に予想することはできない(効果が表れるまでに要する時間は政策が発動される状況により変化する)ため、タイミングよく政策を発動することは非常に困難(景気安定化を意図した政策が景気不安定化の原因となる場合も)→政策当局に対して貨幣成長率を一定に保つルールを課し、裁量的な政策運営の余地を減ずるべき

・k%ルールの誤り

M1やM2といった貨幣量の成長率を2%あるいは3%に保つべきというフリードマンの主張はインフレ率を安定化させる上では問題を抱えている。実質貨幣需要量は不安定であり、インフレ率を安定化するためには名目貨幣量を実質貨幣需要量の変化に合わせて調節せねばならない

・インフレーション・ターゲッティング

目標として掲げたインフレ率を達成するべく金融政策が運営される過程においては名目貨幣量は自動的に実質貨幣需要量の変化に合わせて変動する(名目貨幣量は内生的)。インフレ率の低位安定化(low and stable inflation)に貢献するインタゲは、low and stable inflationを中央銀行の使命と考えるフリードマンの精神を受け継ぐものとして評価できる。

・「我々は、今や皆ケインジアンだ」;誤った解釈とフリードマンの真意

“In one sense we are all Keynesians now; in another, nobody is any longer a Keynesian.” →「we are all Keynesians now」=マクロ経済学が独立した分野として成立するきっかけを作ったケインズを評価したもの。ケインズの議論の中身、特に積極的な政府介入を容認する『一般理論』の内容に同意したわけでは決してない(in another, nobody is any longer a Keynesian)。

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2006年11月19日 (日)

フリードマンは永久に不滅です

Cattle die, kindred die,
Every man is mortal:
But the good name never dies
Of one who has done well

http://daviddfriedman.blogspot.com/2006/11/mf.html

財産は滅び、身内の者は死に絶え、               自分もやがては死ぬ。                                 だが決して滅びぬのが、自らの得た名声だ。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~moonover/2goukan/north-e/odin4.htm

David Friedmanが父であるミルトン・フリードマンの死に際して捧げた言葉(北欧神話のエッダからの引用(76節(?)。数え方がわからないんですが、76の番号が付してある箇所です)。Hávamál ―The Sayings of Hár(from the Poetic Edda http://home.earthlink.net/~wodensharrow/havamal.html)。

おっしゃる通り、フリードマンは永久に不滅なんです。

4つのマネタリズム                          http://hicksian.cocolog-nifty.com/irregular_economist/2006/04/4_f2c0.html

我々は皆、ケインジアン=マネタリストである           http://hicksian.cocolog-nifty.com/irregular_economist/2006/04/post_f1f8.html

ついでにフリードマン関連のエントリーを再掲しておきます(新カテゴリー「Friedman」を設けました)。フリードマン先生のご冥福をお祈りいたします。

ケインズ革命の弊害                           http://hicksian.cocolog-nifty.com/irregular_economist/2006/04/post_8b53.html

Friedman's Plucking Model                                          http://hicksian.cocolog-nifty.com/irregular_economist/2006/04/friedmans_pluck.html

フリードマン、グリーンスパンを語る                 http://hicksian.cocolog-nifty.com/irregular_economist/2006/04/post_c8e5.html

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2006年11月17日 (金)

フリードマン逝去

2006年は1883年と並んで経済学の歴史上何かと因縁めいた年として記憶されることになるかもしれません。1883年はマルクスが逝去し、ケインズとシュンペーターがこの世に生を受けた年であり、今年2006年はガルブレイスが逝去し、またフェルプスがノーベル賞を受賞した年、そしてミルトン・フリードマンが逝去した年となりました。2006年という年は1883年と並んで経済学の歴史に(大きな喪失感とともに)深く刻み込まれることとなるでしょう。

2006年11月16日、シカゴ学派ならびにマネタリストの総帥として知られるミルトン・フリードマンが94年の生涯を閉じました。恒常所得仮説や自然失業率仮説、あるいはシュワルツ(Anna J. Schwatrz)との共著『Monetary History of the United States 1867 1960』等経済学者としての理論的・実証的な業績もさることながら、『資本主義と自由』や『選択の自由』等の書籍を通じて・・・・フリードマンの業績に関しては以下を参照なさってください(いわゆるタダ乗りというやつです)。

Economics Lovers Live( by 韓リフ先生);

ミルトン・フリードマン逝去(享年94歳)       http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20061117

Greg Mankiw's Blog(by Gregory Mankiw);

Milton Friedman             http://gregmankiw.blogspot.com/2006/11/milton-friedman.html

Mark Thomaが紹介しているフリードマンのWSJへの寄稿文は必読。

Economist's View(by Mark Thoma);

Milton Friedman: Why Money Matters http://economistsview.typepad.com/economistsview/2006/11/milton_friedman.html

喋る(あるいは動く)フリードマンを見たければYou Tubeにレッツゴー(Marginal Revolution経由)。また、以下のページ左上の「Friedman/Taylor Video」をクリックすれば、テイラー(John Taylor)を傍らにおいて語るフリードマン(今から約3ヶ月前)をご覧になれます。

The David Laidler Festschrift
http://economics.uwo.ca/centres/epri/LaidlerFestschrift/LaidlerFestschriftProgram.html

フリードマン先生、どうぞ安らかに。

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2006年10月 9日 (月)

祝・フェルプス

2006年度のノーベル経済学賞(正式名称は以下略)は「マクロ経済政策の異時点間にわたるトレードオフの分析」に多大なる貢献をなしたE.フェルプス氏に授与されることが決定いたしました。

The Royal Swedish Academy of Sciences has decided to award The Sveriges Riksbank Prize in Economic Sciences in Memory of Alfred Nobel 2006 to

Edmund S. Phelps(Columbia University, NY, USA)

“for his analysis of intertemporal tradeoffs in macroeconomic policy”.

http://nobelprize.org/nobel_prizes/economics/laureates/2006/press.html

オールド・ケインジアンの黄金時代=1950~60年代、フィリップスカーブ(=インフレ率と失業率との安定的なトレードオフの関係)は政府による総需要管理政策(=ファインチューニング)に基づく経済安定化のための後ろ盾として・・・・やめた。私にゃニッチあるいはただ乗りがお似合いです。

まずは海外ブログの反応をご紹介(後日補充予定)。

Marginal Revolution(by Tyler Cowen);

Edmund Phelps -- Today's Nobel Prize in economics http://www.marginalrevolution.com/marginalrevolution/2006/10/nobel.html

Greg Mankiw's Blog (by Gregory Mankiw);

The envelope, please       http://gregmankiw.blogspot.com/2006/10/envelope-please.html

Phelps on Capitalism       http://gregmankiw.blogspot.com/2006/10/phelps-on-capitalism.html

Dynamic Capitalism(by Edmund Phelps;マンキューブログ他で取り上げられているフェルプスのWSJへの寄稿文)          http://www.opinionjournal.com/editorial/feature.html?id=110009068

macroblog(by Dave Altig);

A Nobel Clarification http://macroblog.typepad.com/macroblog/2006/10/a_nobel_clarifi.html

William J. Polley(by William Polley)

Phelps receives Nobel  http://www.williampolley.com/blog/archives/2006/10/#000699

Justice for the entrepreneur  http://www.williampolley.com/blog/archives/2006/10/#000700

EconLog(by Arnold Kling);

Phelps and the Nobel http://econlog.econlib.org/archives/2006/10/phelps_and_the.html

The Austrian Economists(by Peter Boettke);

Nobel for Edmund Phelps http://austrianeconomists.typepad.com/weblog/2006/10/nobel_for_edmun.html

Mises Economics Blog(by Frank Shostak);

Did Phelps Really Explain Stagflation?                http://www.mises.org/story/2351

日本のブログも負けていません(お二人のどちらかが世界一の速さでエントリーしたことはおそらく間違いないと思われる)。

Economics Lovers Live(by tanakahidetomi);

ノーベル経済学賞だよ、全員集合  http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20061009

日々一考(ver2.0)(by econ-econome);

ノーベル経済学賞2006年受賞者                            http://d.hatena.ne.jp/econ-econome/20061009/p2

フェルプスの話題じゃないですけどもノーベル賞ついでに。「彼 or 彼女にはノーベル賞獲っといてもらいたかった」(=「選考委員会がちんたらしてる間にどれだけの該当者がこの世を去ったことか・・・」)。

Cafe Hayek(by Don Boudreaux);

They Should Have Gotten the Prize (Again)http://cafehayek.typepad.com/hayek/2006/10/they_should_hav.html

受賞理由の一つである自然失業率仮説あるいは期待修正フィリップスカーブ(=フィリップスカーブを短期/長期に区別)に関しての詳しい議論は、『経済思想の歴史』の該当箇所および銅鑼先生のご説明を参照のこと。

もう一つの受賞理由、「the desirable rate of capital formation」 across generations(=黄金律)ならびに新技術の普及と経済成長に対する人的資本(human capital)の重要性への早くからの注目、に関してはコールズ研究所のHPにて幾つかの論文が読めると思ふ。

あとフェルプス関連で面白そうな論文を1つ2つほど。

Philippe Aghion, Roman Frydman, Joseph Stiglitz, and Michael Woodford、“Edmund S. Phelps and Modern Macroeconomics(pdf)”

この論文は『Knowledge, Information, and Expectations in Modern Macroeconomics: In Honor of Edmund S. Phelps』に所収されているもの。まだ読んでないんで紹介するのはちょっとばかり気が引けるんですが、

Michael Woodford、“Imperfect Common Knowledge and the Effects of Monetary Policy(pdf)”

も同書に所収。

ダウンロードしたきり未読状態でほったらかしにしていた

Edmund S. Phelps、“For a More Insightful Macroeconomics:What Departures Would be Reguired?(pdf)”(Joseph E. Stiglitz Festschrift: Economics for an Imperfect World -A Conference for Joe Stiglitz's 60th Birthday-

も今回をよい機会として目を通しておくことにしよう。

(追記)自然失業率仮説に関するフェルプスの論文。コーエンが既に紹介してますけども。

Edmund S. Phelps、“The origins and further development of the natural rate of unemployment(pdf)”(in Rod Cross(編)『The Natural Rate Of Unemployment, Reflections On 25 Years Of The Hypothesis

Edmund S. Phelps and Gylfi Zoega、“The Rise and Downward Trend of the Natural Rate(pdf)”

フェルプスの最近の論文はこちらからダウンロード可。

ルーカスの受賞から遅れること10年、フリードマンの受賞からは30年の遅れ。フェルプス先生の長年の苦労に報いるためにも、・・・明日は朝一で図書館に向かおう(Edmund S. Phelps(編著)『Microeconomic Foundations of Employment and Inflation Theory』 を借りてくるのです)。

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2006年10月 2日 (月)

大学は建物ではない

 その東畑博士が草された一文を何気なくよんでいるとき、そこでついに上述の疑問を解消する注目すべきくだりに遭遇した。曰く、シュムペーター文庫の贈呈「式が行われた一橋大学の本館の特別応接室は、昭和6年1月末、厳冬の時に、同大学に講演にきたシュムペーターを迎えて、多くの人が氏を中心として歓談のひとときをもった室でもあって、故教授[シュムペーターのこと]の思い出などが自ら列席者によって語られた。序にいうが、その時に講演の題は『経済学徒の科学的装備』というのであった。あの時の室の寒さはシュムペーターを少しばかりたじろがせたかもしれなかったが、氏はそれを気にしている当時の教授たちに『大学は建物ではない』と云ってのけた。そして例えばイタリアのボロニア大学とかその他の例をひいて、その貧弱な大学の建てもののなかで、いかに見事な研究の成果が挙げられたかを物語った」(「由来記」―“The Catalogue of Prof. Schumpeter Library” 1962)と。
 「大学は建物ではない」という言葉を上記の文脈で読めば、それがシュムペーターをかこむ会合の部屋の寒さに気をつかう人びとへの慰めの言葉であることは明白。ボローニア大学のような襤褸(ぼろ)?!の建物であっても、立派な研究成果があがればそれで十分なので、寒いことなど大学の本質とは無関係ではないかとの暖かい思いやりのこもった励ましの言葉でさえあって、けだし至言である。日本人ならいざ知らず、西欧人で、しかも芸術の都といわれるウィーンで成人したシュムペーターにとっては、一橋大学の建造物の形態にさしたる関心のあろうはずはなく、したがって彼の発言は、東畑博士の文脈によって理解されるのが妥当である。・・・知恵者あって、都心からの都落ちにガックリきている一橋人を励ますべく、シュムペーターもひがむほどの学舎で研究ができるではないかと、彼の発言を意識的に転用したのが伝説の始まりだったのではなかろうか。(三上隆三著『経済の博物誌』 「第1章 伝説の種まく人-シュムペーター」、p14~p16より引用)

引用者注;引用文中にある「伝説」とは、神田一ツ橋の都心部から現在の国立市へと都落ち(?)した一橋大学の新校舎(伊東忠太東大教授の手になるロマネスク様式建築)を見たシュムペーターが、「建造物の美麗さにうたれたあまり、その反動として大学の本質は学問の研鑽にこそあれ建築物にあるのではない」(p11)との意味を込めて「大学は建物ではない」University is not building と口走ったとの言い伝えのこと。三上先生が抱いた「上述の疑問」とは、文中にもあるように「芸術の都といわれるウィーンで成人したシュムペーターにとっては、一橋大学の建造物の形態にさしたる関心のあろうはずはなく」、「ベルサユー宮殿の影もうすくなるような、ハプスブルク王朝の粋をあつめた建造物のたちならぶ首都ウィーンで教育をうけた「教養ある旧派のオーストリアのジェントルマンであり、ハプスブルク末期の貴族社会の雰囲気を終生もった人」(ハーバード大学編『追憶記録』)といわれるシュムペーターにとっては、学舎としての一ロマネスク建造物に魅了されることはないはず」(p12~p13)であり、「伝説」の信憑性は疑わしいということ。シュムペーターが講演をした会場、つまりはその寒さによって「シュムペーターを少しばかりたじろがせたかもしれな」い、ある意味風通しのよい部屋とは兼松講堂 (訂正;一橋大学本館の特別応接室。ご指摘ありがとうございます)のこと。

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